西方小学校は、薩摩川内市西方町にあった公立小学校です。
国道3号線と肥薩おれんじ鉄道(旧JR鹿児島本線)沿いで、とても交通の便の良い場所にあります。
西方町
西方町は、薩摩川内市の北西部にある地域です。
かつては、薩摩国の高城郷にあった村です。
郷というのは、かつて薩摩藩がとっていた外城制度です。
郷ごとに武士を置きミニ城下町を形成していました。
これにより武士を分散させ、強固な国の防衛を実現するとともに領内の統制をしています。
また、西方村には薩摩街道が通っていました。
島津氏が御仮屋を置き、参勤交代のときは休憩所として利用していました。
1889年(明治22年)、町村制が施行されると高城郷は高城村となり、西方村は高城の大字西方となります。
1960年(昭和 35年)に、高城町となっています。
1965年(昭和40年)に、川内市に編入されたことから、川内市西方町となります。
2004年(平成 16年)に、川内市が新設合併したことにより、薩摩川内市西方町となりました。
西方駅
最寄り駅は、肥薩おれんじ鉄道(旧JR鹿児島本線)の西方駅です。
西方小学校の横を鉄道が走っていて、西方駅はすぐ北側になります。
1970年代には、西方海水浴場や川内高城温泉への観光客や湯治客で大賑わいの駅でした。
1988年の完全無人化されたときに、駅舎が解体され簡易待合室が置かれています。
肥薩おれんじ鉄道は第三セクターの鉄道ですが、JR貨物の列車は通過します。
校舎
鉄筋コンクリート造2階建ての校舎は、真っ白な壁で新しく見えます。
1998年(平成10年)に外壁塗装工事をしたためです。
体育館は 1998年(平成 10年)に新築したものです。
体育館には楽しそうにカヌーを漕ぐ生徒たちが描かれています。
授業でカヌーやサーフィンをしていたようです。
国旗掲揚台には校章があります。
白い壁だけでなく、校内がきれいに保たれていて、とても美しく感じられました。
沿革
1870年(明治3年) | 旧御仮屋を仮校舎とした「修身館」として創立 |
1890年(明治23年) | 西方尋常高等小学校へ改称 |
1941年(昭和 16年) | 西方国民学校へ改称 |
1947年(昭和 22年) | 高城村立西方小学校へ改称 |
1960年(昭和 35年) | 高城町立西方小学校へ改称 |
1965年(昭和40年) | 川内市立西方小学校へ改称 |
2004年(平成16年) | 薩摩川内市立西方小学校へ改称 |
2013 年(平成 25 年) | 薩摩川内市立水引小学校へ統合閉校 |
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