尾八重野(おべの)分校は、かつて宮崎県えびの市にあった、加久藤小学校の分校です。
尾八重野地区
行くまでは、読み方がわかりまんせした。
案内板を見てはじめて読み方がわかりました。
「おべの」と読みます。
- 漢字で書くと「尾八重野」 ・・・4文字です。
- ひらがなで書くと「おべの」・・・3文字です。
ふつうは、ひらがなで書いた方が文字数は多くなります。
逆に少なくなることに違和感を覚えつつ、尾八重野地区におじゃましました。
おじゃましたのは2020年の3月上旬でした。
案内板の通り、宮崎県30号線、通称:霧島バードラインから2㎞くらい脇に入ります。
戦前は、旧日本陸軍軍馬補充部の牧場があったところです。
今でも、尾八重野地区の西側の山麓は、陸上自衛隊の霧島演習場となっています。
しかし。、富士総合火力演習みたいに、観覧の募集はきいたことがありません。
きっと、国防上の重要な作戦の演習を秘密裏にやっているのでしょう。
尾八重野に集落ができたのは戦後です。
食糧増産のため、国の事業で行った開拓地のひとつです。
パラオから引揚者も、開拓のために入植されたときいています。
尾八重野分校の歴史もそこからはじまっています。
尾八重野分校
みるからに農業の盛んな地域です。
山の斜面にまで、おおきな牧場が立ち並んでいます。
おそらく、戦前はただの山林原野だったところを開拓して、ここまでにしたのでしょう。
集落ができると、当然学校教育施設が必要になります。
1947年(昭和22年)に、尾八重野分校が開設されています。
国旗掲揚台です。
出迎えてくれた人型の像です。
校舎のカーテンは開けたままでした。
「70年間ありがとうございました」の文字が。
窓からのぞくと「学校沿革史」が見えました。
平成24年~休校 で記録が止まっています。
玄関側に回ってみました。
閉校後は、コミュニティ施設として使われています。
現役施設なので、とてもきれいです。
円形の体育館は珍しいです。
周辺はのどかでいいところです。
校舎はそんな大きくはありませんでした。
ただ、校庭というか運動場が、やけに広いのが印象的でした。
近くに観光施設があれば寄ってみようと、案内板を見ましたが、よくわかりませんでした。
なので、速攻帰りました。
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沿革
1947年(昭和22年) | 加久藤村立加久藤小学校尾八重野分校として創立 |
1955年(昭和30年) | 加久藤町立加久藤小学校尾八重野分校へ改称 |
1966年(昭和41年) | えびの町立加久藤小学校尾八重野分校へ改称 |
1968年(昭和43年) | えびの市立加久藤小学校尾八重野分校へ改称 |
2012年(平成24年) | 休校 |
2018年(平成30年) | 廃校 |
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