大分県央飛行場というのは、大分県豊後大野市にある大分県営の飛行場です。
大分県央空港ともよばれています。
定期便はない
大分県央飛行場は、もとをただせば、農水省の農道離着陸場整備事業、いわゆる農道空港として計画されています。
1992年(平成4年)に、豊肥地区農道着離陸場として開場しました。
さらに、1997年(平成9年)に、人員輸送も可能となり、大分県央飛行場とよばれるようになっています。
当初こそ、九州航空が大分空港との間に定期便を運航していましたが、数年で廃止されています。
現在運行する定期便はありませんが、大分空港はじめ、福岡空港や鹿児島空港行きの航空機がチャーターできます。
また、遊覧飛行にも利用されています。
日本文理大学
大分県央飛行場は、大分県防災ヘリの運航基地のひとつです。
となりには、日本文理大学航空宇宙工学科の、県央空港エクステンション・キャンパスがあります。
エンジン運転や整備実習が行われています。
農道空港
農道空港事業は、小型飛行機で付加価値の高い農産物を消費地へ空輸する目的で行われた事業です。
当然、主目的は地域の農業振興です。
計画当初から、輸送コストが高く黒字化はムリとの予測もありました。
しかし、バブル期で経済規模が拡大していたため、甘々な予測を元に計画が進んでいます。
当然、完成後に問題が噴出しています。
- 空輸するほど付加価値の高い農産物の需要が創出できなかった。
- 大都市行きの貨物はともかく、帰り便の貨物はゼロに等しく効率が悪かった。
- 空港開設期にバブル経済が終焉を迎えた。
- 高速道路が次々と完成し、トラック輸送との優位性が低下した。
- 夜間の離着陸ができないため、市場の開場時刻に合わせて出荷することができず、鮮度の優位性が確保できなかった。
- 地方空港の高規格化が進み、旅客化の見通しが無くなった。
- 大都市の空港では、旅客便の集中化が進み、離着陸が難しい状況になった
1998年(平成10年)に事業廃止となるまで、全国に8か所の農道空港が建設されました。
各飛行場ともに、本来の目的以外の活用方法を模索することになっています。
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