坂より上(さかよりうえ)分校は、かつて熊本県八代市東陽町にあった、河俣小学校の分校です。
本校である河俣小学校から坂より上分校へ向かうと、まさに坂より上に位置しています。
坂より上地区
坂より上地区へ行くには、熊本県道25号宮原五木線を、河俣川に沿ってさかのぼります。
宮原五木線は、大通峠を越えて五木村に至る県道です。
八代市から大通峠へ向かう場合、最後の集落が坂より上地区と鶴木場地区になります。
ここから先、峠までは急こう配が続きます。
坂より上棒踊り
坂より上地区には、平家の落人が流れ住んだといいます。
平家の武士が村人たちに武術を教えたのが、棒踊りのはじまりといわれています。
以降、今日に至るまで伝統芸能として伝えられています。
坂より上分校でも、閉校まで子供たちが踊っていました。
学校遺構
閉校まで木造校舎が残っていたのですが、現在は解体されています。
学校跡は更地となり、遺構らしい遺構は何も残っていません。
強いてあげれば、国旗掲揚台は分校当時のものです。
片側だけ残る門柱も、分校当時のものです。
以前は、左右対称に同じデザインの門柱がありました。
乗り合いタクシーのりば名に、「坂より上分校前」の名が残ります。
【公式】河俣小学校 解体前の坂より上分校
1956年(昭和31年)が、生徒数のピークで54名の子供が通いました。
【公式】河俣小学校 解体前の坂より上分校
1980年代には、一時休校しています。
【公式】河俣小学校 解体前の坂より上分校
1984年(昭和59年)に再開校し、2010年(平成22年)までは現役の学校でした。
県道25号線の廃バス
坂より上地区の県道沿いには、廃バスが置かれています。
いつ頃置かれたものか知るすべもありませんが、かなり以前から見かけていました。
今回はじめて近くで見てみました。
産業廃棄物を不法投棄したのではなく、倉庫代わりにする目的で置いたものでしょう。
九州産業交通の路線バスです。
現在もシンボルカラーの青色が残っています。
今となっては貴重な、交通工業遺構です。
沿革
1885年(明治12年) | 河俣小学校坂より上分教場として創立 |
1893年(明治20年) | 河俣尋常小学校坂より上分教場へ改称 |
1922年(大正11年) | 河俣高等尋常小学校坂より上分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 河俣国民学校坂より上分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 河俣村立河俣小学校坂より上分校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 東陽村立河俣小学校坂より上分校へ改称 |
2005年 (平成17年) | 八代市立河俣小学校坂より上分校へ改称 |
2010年 (平成22年) | 八代市立河俣小学校へ統合 閉校 |
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