宗太郎分校

宗太郎分校 日豊本線沿いに残る昭和20年代に建てられた木造校舎

宗太郎分校というのは、かつて大分県宇目町(現在の佐伯市)にあった、重岡小学校の分校です。

宗太郎分校

分校跡には、1954年(昭和29年)に建築された木造校舎が残っています。

宗太郎とは?

宗太郎分校

宗太郎というのは、この地区の名前です。

重岡小学校宗太郎分校

誰がどう見ても人の名前なのは、地名自体が宗太郎という人物にちなむからです。

重岡小学校宗太郎分校

集落は江戸時代に、豊後国岡藩の山林を管理をするために形成されています。

重岡小学校宗太郎分校 倉庫

当時、藩命で山林管理をまかされたのが、洲本宗太郎でした。

重岡小学校宗太郎分校 トイレ

創立は戦後

宗太郎分校 日豊本線の線路

大正時代になると、豊州本線(現在の日豊本線)の工事がはじまります。

日豊本線線路から見た宗太郎分校

工事関係者のため1918年(大正7年)には、三本谷分教場が創立しますが、翌年には閉校しています。

日豊本線線路から見た宗太郎分校

以後、宗太郎地区の子供は、宮崎県北川村の松葉小学校へ通ったとの記録が残っています。

宗太郎分校 トイレの裏側

1923年(大正12年)には信号所が開設され、宗太郎集落には鉄道関係の人も住むようになりました。

宗太郎分校 アーチ式の裏門

ただしこの区間は山間部を通るため、日豊本線の中で最も乗降者が少ないことで知られます。

宗太郎分校 アーチ式の裏門

信号所の宗太郎駅昇格は、1947年(昭和22年)まで待つことになります。

宗太郎分校 アーチの内部

交通事情の良くなかった宗太郎地区では、未就学児童が多かったといいます。

宗太郎分校 アーチの内部

さらに、宗太郎分校の創立は、1953年(昭和28年)まで待つことになります。

宗太郎分校 備品の折りたたみイス

道路事情は良い

国道10号線 宇目町重岡

日豊本線と平行してできたのが国道10号線です。

宇目町立重岡小学校宗太郎分校

鉄道本線の駅があるうえ、東九州を縦断する国道がある集落です。

宇目町立重岡小学校宗太郎分校

現在の交通事情は、とても恵まれているように見えます。

宗太郎分校への道

しかし国道から続く脇道は、往時の通学路を思い起こさせます。

宗太郎分校 運動場

分校用地は、もともとは延岡営林署の貯木場でした。

宗太郎林道の標識

今となっては山の仕事も、町から通勤できるようになっています。

宗太郎分校 運動場

道路改良で便利にはなりますが、必ずしもその地区の人が増えるわけではありません。

宇目町立重岡小学校宗太郎分校 教室

宗太郎分校はわずか28年で、その役割を終えています。

宇目町立重岡小学校宗太郎分校 教室

沿革

宇目町立重岡小学校宗太郎分校
1953年(昭和28年)重岡村立重岡小学校宗太郎分校創立
1955年(昭和30年)宇目町立重岡小学校宗太郎分校へ改称
1981年(昭和56年)閉校
宗太郎分校 日豊本線の線路

場所 大分県佐伯市宇目大字重岡

宗太郎分校 うぁー!!ヘビいたんだ。写真見て気づいた。
うぁー!!ヘビいたんだ。写真見て気づいた。

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