俣口分校 那良川を遡ると谷深くにある立派な校舎
俣口分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字一勝地の俣口地区にあった、一勝地第二小学校の分校です。俣口へ行くには、那良口から那良川をひたすらさかのぼります。俣口分校までも遠いのですが、さらに上流には遠原(とおばら)という集落があるというから驚きです。
俣口分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字一勝地の俣口地区にあった、一勝地第二小学校の分校です。俣口へ行くには、那良口から那良川をひたすらさかのぼります。俣口分校までも遠いのですが、さらに上流には遠原(とおばら)という集落があるというから驚きです。
一勝地第二小学校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字三ヶ浦にあった村立小学校です。現在は、「田舎の交流館さんがうら」として利用されています。 球磨村発足前の一勝地村は、旧一勝地村と三ヶ浦村の2村が合併した村でした。球磨村発足前は、松谷小学校といっていました。
下槻木(しもつきぎ)小学校は、かつて熊本県球磨郡多良木町にあった町立小学校です。下槻木集落は、槻木大師堂や四所神社がある地区になります。県最南東端の集落です。小学校の建物は、ほぼそのまま残っており、体育館は現役で使われています。
槻木(つきぎ)中学校は、かつて熊本県球磨郡多良木町大字槻木にあった公立中学校です。槻木中学校は、1986年(昭和61年)に多良木中学校へ統合されています。校舎は、ふるさとの森休養施設として整備され、現存しています。
槻木菅原神社は、熊本県球磨郡多良木町の槻木地区にある天神さんです。山奥の小さな集落にある神社なのですが、社殿は驚くほど立派です。県境の集落は、かつては領土争いの最前線であり、地域守護のため立派な社殿が残されたのかもしれません。
槻木四所神社(つきぎししょじんじゃ)は、熊本県球磨郡多良木町の下槻木地区にある神社です。真言宗の総本山、紀州伊都郡の高野山の祭神を勧請したものといわれています。このあたりの集落名が、大師ということからも、弘法大師との関係の深さがうかがわれます。
槻木(つきぎ)小学校は、熊本県球磨郡多良木町大字槻木にある町立小学校です。この学校の面白いところは、休校中の学校を地域活性化のため再開させ点です。町では、この限界集落を活性化させるため、雇用を創出し移住者を呼び込もうとしました。しかし方針転換で再休校となっています。
熊本県の南東端、球磨郡多良木町槻木(つきぎ)地区の、お大師堂に弘法大師坐像が安置されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財のひとつです。お大師堂があるのは、下槻木といわれる集落です。 お大師さんは、残念ながら普段は見ることができません。
神瀬(こうのせ)小学校は、熊本県球磨郡球磨村大字神瀬にあった村立小学校です。現在は、「神瀬福祉センターたかおと」として利用されています。2010年(平成21年)村内小学校の統合で、一勝地小学校と渡小学校の2校体制となりました。旧神瀬村の小学校が、ひとつもなくなってしまいました。
渡小学校内布分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村にあった村立小学校の分校です。2004年(平成16年)に、本校である渡小学校へ統合され、閉校となっています。校舎は真っ白な壁が印象的です。いつでも学校として再開できそうな保存状態です。
多良木高等学校は、熊本県球磨郡多良木町にあった県立高校です。熊本県教育委員会では、球磨郡の県立高校3校を、統合再編し2校とすることで検討していました。2014年(平成26年)に、多良木高校の学科を、別の2校移し閉校する方針を公表しました。
「舅(姑)落とし」とはまた物騒な名まえのスポットです。その昔、このあたりで道と言えば、岩盤の断崖絶壁に細々と続く歩道と、対岸に渡された幅の細い橋だけでした。嫁いびりをする意地悪な姑が、嫁を突き落とそうとすると、足を滑らせて自分が落ちてしまいました。