美里町石橋群 自然に溶け込み調和した100年以上前の職人技
熊本県は、全国でもアーチ式石橋が多いことで知られています。なんと、全国のアーチ式石橋うち、96%が九州にあるといわれています。しかも、その約半数が熊本県内にあるのです。なかでも、多くの石橋が集中しているのが緑川流域です。この記事は、旧砥用町の主な石橋について書いています。
熊本県は、全国でもアーチ式石橋が多いことで知られています。なんと、全国のアーチ式石橋うち、96%が九州にあるといわれています。しかも、その約半数が熊本県内にあるのです。なかでも、多くの石橋が集中しているのが緑川流域です。この記事は、旧砥用町の主な石橋について書いています。
八角トンネルは、かつて南熊本駅から砥用(ともち)駅の間を走っていた、熊延鉄道(ゆうえんてつどう)の遺構です。名前の通り、断面が八角形になっています。熊延鉄道は、廃線から50年以上経過しています。ほぼ、原形をとどめる遺構は残っていません。八角トンネルは数少ない遺構です。
緑川ダムは、熊本県下益城郡美里町にある多目的ダムです。堤頂部が折れ曲がった重力式コンクリートダムと、ロックフィルダムの補助ダムからなります。ダム周辺の雰囲気には、歓迎ムードが漂います。土手ののり面に描かれた、くまモンが出迎えてくれます。
被災から3週間がたちました。ようやく復興への動きが加速してきました。インフラはまだまだ手付かずの地域もありますが、交通事情と流通経路はかなり復旧しています。令和2年熊本・鹿児島大雨災害の災害支援については、ふるさと納税サイトを通じて寄付ができます。
2020 年(令和2年)7月の豪雨により、人吉市とその周辺は、かつてない大災害となりました。この記事では、夏目友人帳聖地の被災状況をまとめています。甚大な被害です。このまま失われるのではないかと、とても心配です。元の姿に戻ることを心から願います。
松谷阿蘇神社は、松谷棚田で有名な熊本県球磨村の松谷地区の神社です。松谷地区というのは、田舎の交流館「さんがうら」があるあたりの集落です。この集落の守り神として古くに創建されています。令和2年7月豪雨で被災した球磨村ですが、元の美しい姿を取り戻す日が来ることを心から祈っています。
責分校は、かつて八代市坂本町にあった鮎帰小学校の分校です。閉校後も木造校舎が残っていましたが、残念ながら解体されてしまい、もう見ることはもうできません。しかし、素晴らしい風景と校庭や分校の記念碑が現存しています。坂本町の道路網が復旧したら、また訪れたい場所です。
鮎帰小学校は、かつて熊本県八代市坂本町鮎帰にあった、公立小学校です。2003年(平成 15 年)に、同校の責分校とともに、八竜小学校へ統合されています。令和2年7月豪雨で大災害のあった旧坂本村ですが、鮎帰小学校のそばに油谷川が流れているのが気がかりです。
四浦というのは、熊本県球磨郡相良村にある一地区です。四浦阿蘇神社は、四浦村民のよりどころでした。現在も四浦地区の村社であり、地域の氏神さまです。あわせて、令和2年7月豪雨による、四浦地区の状況も記事にしておきます。
八代市の国指定名勝といえば、松浜軒(しょうひんけん)を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、「水島」をわすれてはいけません。地味ながらも、妖火「不知火(しらぬい)」とともに、国の名勝として指定されているスポットです。
井牟田小学校はかつて、熊本県葦北郡田浦町にあった町立小学校です。1996年(平成8年)に田浦町立田浦小学校と統合し閉校となっています。2005年(平成17年)には、田浦町と芦北町が合併しました。跡地の住所は芦北町大字井牟田となっています。
令和2年7月豪雨から2週間がたち、町は復旧に向けて動き出しています。被災した方たちの疲れも見えはじめていますが、多くのボランティアの方に助けられ励まされています。心から感謝申し上げます。一番心配しているのが鉄道資産の復旧です。今回は、鉄道被害に的を絞ってみました。