四家小学校 工場としてリスタートした旧高城町最北の小学校
四家小学校は、かつて宮崎県都城市高城町にあった公立小学校です。現在は、晨星興産という会社の工場となっています。四家は旧高城町の北端にある、平家落人伝説の残る集落です。以前から学校の風情が残るうちに訪れようと思っていました。
四家小学校は、かつて宮崎県都城市高城町にあった公立小学校です。現在は、晨星興産という会社の工場となっています。四家は旧高城町の北端にある、平家落人伝説の残る集落です。以前から学校の風情が残るうちに訪れようと思っていました。
越小場(こしこば)分校は、かつて熊本県水俣市にあった、久木野小学校の分校です。閉校後は越小場公民館となり、山村らしい平屋建ての木造校舎が素晴らしい状態で残されています。校庭や通学路の状態と、大きな閉校記念碑から地域の方が大事にしていることが一目でわかります。
紫尾(しび)小学校は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった公立小学校です。正門前の歩道が公園になっていて、校内に入らなくても紫尾小学校の136年の歴史がわかるようになっています。現在残る校舎は木造の温かみを残しながらも、デザイン性にもこだわったいい感じの建物です。
岩脇中学校は、宮崎県日向市大字平岩にある公立中学校です。2006年(平成 18 年)に、平岩小中学校としてして平岩小学校のあった場所へ移転しています。旧岩脇中学校は、移転前の姿を残します。生徒たちが登校しなくなった分寂しくはなりましたが、公共施設として活躍をはじめていました。
日本が戦争を体験してから、80年近く経とうとしています。戦時下を生で体験した方にとっても遠い過去の記憶となり、またその人数も少なくなってきています。そんななか、戦争遺構が見直されてきたのは、その歴史を見たままに後世に伝える物証だからです。
平南(へいなん)小学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。2015年(平成27年)からは民間会社が借受けています。現在の平南小学校の役割は、県産さつまいもの関東や関西への出荷基地です。校舎は社屋、体育館は作業場、運動場には農作物用のカゴが積まれています。
平川小学校は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった公立小学校です。清潔感あふれる真っ白い校舎と、運動場にある大きなセンダンの木が印象的でした。掲示板に残された「大好き!平川小学校」の文字が、生徒たちに愛されていたことを物語っています。
高岡町立内山小学校は、かつて宮崎県宮崎市高岡町にあった公立小学校です。学校跡地は、高岡町内山体育館となっています。ずいぶん昔、1965年(昭和40年)には閉校となっています。跡地にはほんの少しではありますが、学校だった形跡が残っていました。
百引(もびき)中学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立中学校です。旧輝北町の中学校は、新設された輝北中学校に統合され廃校となっています。歴代の部活動では好成績を残していて、日本陸上界のスパースター、米重修一選手を輩出しています。
福地小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。現在は福地地区公民館になっています。閉校から40年以上経過していて、残される学校遺構はごくわずかになっています。学校跡の名残りが消え失せていく過程を感じます。
宮ヶ野小学校は、熊本県球磨郡多良木町にある町立小学校です。2010年(平成22年)以来、休校となっています。現在も校舎がキレイなのは、いつでも再開校できるようにという理由だけではありません。多良木町しごと創生機構が、ドレッシング工場として使っているからです。
高木小学校は、かつて鹿児島県霧島市横川町にあった公立小学校です。高木地区は金の採鉱で栄えた、山ヶ野金山の集落の一角です。戦後、金山を失った高木地区は、急速に過疎化がすすむことになりました。高木小学校は、1963年(昭和38年)に横川町立安良小学校と統合し閉校しています。