国鉄樋脇駅と道の駅樋脇 明暗分ける鉄道と自動車道
樋脇駅は、かつて鹿児島県薩摩川内市樋脇町にあった国鉄の駅です。宮之城線の中間駅であり、樋脇高校の最寄り駅でした。樋脇駅跡の表札には、樋脇鉄道記念館と表示してあります。駅舎と廃駅時の構内施設自体が、そのまま鉄堂記念館の展示物になっています。
樋脇駅は、かつて鹿児島県薩摩川内市樋脇町にあった国鉄の駅です。宮之城線の中間駅であり、樋脇高校の最寄り駅でした。樋脇駅跡の表札には、樋脇鉄道記念館と表示してあります。駅舎と廃駅時の構内施設自体が、そのまま鉄堂記念館の展示物になっています。
南薩鉄道記念館は、かつての鹿児島交通枕崎線の加世田駅にあるミュージアムです。南薩鉄道は、薩摩半島南部の発展に大きな役割を果たした鉄道でした。昔、南薩鉄道を利用したことがある方や、鉄道マニアの方だけではなく、一般の方もすごく楽しめると思います。
むかし人間がつくったもので、現在に残される痕跡を遺構といいます。そのうち、管理されなくなり荒れ果てると廃墟といいます。そこにある遺構は何のためにつくられ、どういう歴史をたどったのか?遺構探訪が楽しくなるような本をご紹介します。
柊野(くぎの)小学校は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった町立小学校です。この記事は京都府の柊野(ひらぎの)小学校の記事ではありません。彼岸花・仏飯講・河鹿蛙・金明孟宗竹・他の神さぁで知られる、さつま町柊野地区の小学校の記事です。
尾八重野(おべの)分校は、かつて宮崎県えびの市にあった、加久藤小学校の分校です。尾八重野地区は戦前、旧日本陸軍軍馬補充部の牧場があったところです。今でも、尾八重野地区の西側の山麓は、陸上自衛隊の霧島演習場となっています。尾八重野分校ができたのは戦後でした。
大尼田小学校は、かつて熊本県葦北郡芦北町にあった町立小学校です。大尼田地区は、芦北町のなかでも旧佐敷町管内になります。佐敷から吉尾温泉にぬける、県道60号 芦北坂本線沿いにある地区です。特に目立つ観光スポットは見当たりませんでした。
御池(みいけ)小学校は、宮崎県都城市にある公立小学校です。場所は、霧島連山の東麓にあたります。御池や高千穂峰に近く、自然に恵まれた立地です。御池というのは、都城市と高原町の境界にあるカルデラ湖のことです。観光スポットですが、ブラックバス釣りスポットでもあるようです。
高野分校は、かつて宮崎県えびの市にあった、宮崎市立飯野小学校の分校です。高野分校跡地は再利用されています。 大阪のPNGという会社が、旧校舎ごと使っています。PNGの社長さんは、宮崎県えびの市出身です。 ご実家が京町温泉の近くで、ご家族が泉源をお持ちでした。
布計(ふけ)小学校は、鹿児島県伊佐市大口にあった公立小学校です。かつてあった、布計金山の近くになります。金山開発を目的に国鉄山野線が敷設され、薩摩布計駅という鉄道駅もありました。金山、駅、小学校とも廃止されましたが、小学校校舎が現存しています。
鳥田町(とりだまち)小学校は、かつて宮崎県小林市にあった公立小学校です。校舎の前には、樹齢100年を超える大イチョウがそびえ立ちます。須木地区で観光名所となるほどの大木です。閉校となる2013年(平成15年)までは、鳥田町小学校のシンボルでした。
平瀬分校は、かつて熊本県球磨郡五木村にあった、五木東小学校の分校です。校舎があったのは、五木小川の平瀬渓谷沿いです。以前は、県道25号宮原五木線の一段下に校舎が見えていました。残念ながら、すでに校舎はありませんでした。解体前に、見ておくべきだったとすごく後悔しました。
平成の大合併後、公立学校の適正規模の観点から、歴史ある学校がつぎつぎと閉校しました。惜しまれつつも、閉校した美しい木造校舎を持つ学校を厳選してみました。