徳重神社 鹿児島の人たちが妙円寺詣りで目指す目的地
徳重神社は、鹿児島県日置市伊集院町にある神社です。伝説の戦国武将・島津義弘公をまつります。鹿児島内城の武士たちがはじめた「妙円寺詣り」は、現在も大勢の人が集まる伝統行事で、毎年 10月の第4土日曜日には、県内の大勢の人たちが徳重神社を目指します。
徳重神社は、鹿児島県日置市伊集院町にある神社です。伝説の戦国武将・島津義弘公をまつります。鹿児島内城の武士たちがはじめた「妙円寺詣り」は、現在も大勢の人が集まる伝統行事で、毎年 10月の第4土日曜日には、県内の大勢の人たちが徳重神社を目指します。
韓国宇豆峯神社(からくにうずみねしんじゃ)は、霧島市国分上井に鎮座する神社です。延期式神名帳に名を連ねる、大隅5社のうちの1社となります。大隅隼人の反乱を平定統治するため、豊前国から大隅国へ5000 人を移住させたとき、豊前国より移された神社と伝わります。
榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県日南市南郷町にあり、楼門と鐘楼が特徴的な神社です。当時、神女として崇められていた、内田萬寿姫の進言で、飫肥藩第3代当主・伊藤祐久が鵜戸神宮より勧請したもので、飫肥城の鎮守社でした。縁結びのパワースポットとして有名です。
神柱宮(かんばしらぐう)は、宮崎県都城市にある神社です。通称は「おかんばしら」となります。太宰府より移住した平季基が、島津荘開発のため伊勢神宮より勧請したのが神柱宮です。以来島津荘の総鎮守として都城とともに発展し、今や市民にとってなくてはならない神社となっています。
竹田神社は、鹿児島県南さつま市加世田にある神社です。加世田で晩年を過ごした島津忠良公をまつります。忠良公の目指した三州統一は、子孫三代をかけて実現します。晩年は日新斎を名乗り、人材教育にも力を入れており、のちの島津家の基礎を築いた人物といえます。
鹿児島県の神社を一覧表にしてみました。旧令制国でいうと、大隅国と薩摩国になります。大隅国では南九州一勢いがあった鹿児島神宮が一の宮です。一方の薩摩国には一の宮が2つあるため、鹿児島県は3つの一の宮を擁しています。それに加えて霧島神宮と照国神社があり、県内各所に大社が点在しています。
宮崎県の神社を一覧表にしてみました。日向国は天孫が降臨し、神武天皇が東征するまでのゆかりの地です。そのため有力パワースポットが多く、「神話の里・宮崎」というキャッチコピーが生まれるほど、数多くの神話が語り継がれています。
川上神社は、鹿児島県肝属郡肝付町にある神社です。入口には美しい木造校舎の川上中学校、鎮守の森には片野の滝があり、みどころ満載の観光スポットになっています。訪れるには、肝属川水系の高山川を上流にさかのぼります。目印はこの地の物産館・川上やまびこ館です。
精矛神社(くわしほこじんじゃ)は、鹿児島県姶良市加治木町にある神社です。加治木で晩年を過ごした戦国武将・島津義弘公をまつります。義弘公は20歳の初陣以来、66歳で参戦した関ヶ原の戦いまで、大小50数回の戦に参戦し武勲を挙げ、敵将に「鬼島津」と恐れられた名将です。
熊本県の神社を一覧表にしてみました。すると、頭でイメージしていた以上に、訪れたことないスポットが多いことがわかりました。サイト内に記事があるスポットはリンクしています。生きている間に全社をリンクさせたいですが、いつまで経っても完成しないかもしれません。
新田神社(にったじんじゃ)は、鹿児島県薩摩川内市にある神社です。薩摩国の一の宮です。川内川沿いの一の鳥居から神亀山一帯まで、広大な社地を持つ神社です。ただし、神亀山の4/5は、可愛山陵(えのみささぎ)というニニギノミコトのお墓になっていて、宮内庁が管轄しています。
加藤神社は、熊本市のシンボル・熊本城のなかにある神社です。熊本藩初代藩主、加藤清正公をまつります。加藤神社の初詣の人出は、熊本県で最も多く45万人にのぼるとされます。初詣だけでなく、熊本に住む人にとって人生の節目に欠くことのできない神社です。