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パワースポット

十島観音 人吉藩の一向宗禁止令と蓮花院の隠れ信徒

十島観音は、相良三十三観音霊場の14番札所となります。観音堂の由来となる蓮花院では、1627年に一向宗の信徒がいたことが発覚し大事件となりました。薩摩藩や人吉藩では一向宗を禁止していて、信者の家からは仏像仏具が押収され、十島菅原神社で焼却されました。

上園観音堂 子ども病気から守る観音さま

上園(うえんそん)観音は、相良三十三観音霊場17番札所です。子どもを病気から守ってくれる観音さまであり、古くから牛馬のお守りとしても信仰されてきました。上園のネイティブな読み方が「うえんそん」であり、観音さまの呼び名としても定着しています。

上手観音 子供や妊婦を守る観音さま

上手観音は相良三十三観音霊場の22番札所です。岩立観音ともよばれています。子供や妊婦を守る観音さまとして信仰されています。近くに「おいちの墓」があります。こちらも妊婦と子どもの守り神として崇拝されていますのでセットでのお参りをおススメします。

植深田観音堂 崖のような急斜面の上の観音さま

植深田観音は、相良三十三観音霊場20番札所です。本来の参道は、観音堂正面の石段です。しかし、石段は崖のような急斜面に作られています。そのうえ石段が摩耗していて危険なため、現在は通行禁止となっています。観音堂には西側(石段に向って左側)から迂回して入るようになっています。

土屋観音堂 人吉城乗っ取り事件で人吉城を去った相良尭頼を弔う一乗寺跡の観音様

土屋観音堂は相良三十三観音霊場の31番札所となります。一乗寺は江戸時代が終わるまで続きましたが、明治維新後廃寺となりました。寺院には観音堂と古塔碑が残りました。これが現在の土屋観音堂です。鎌倉時代の聖観音菩薩坐像と平安時代の地蔵菩薩立像が安置されています。

多良木相良氏関連史跡 相良家700年以前の歴史

最初に人吉球磨地域に入国したのは多良木荘の相良頼影であり、もともとの相良家の宗家(そうけ・本家)は多良木相良家でした。相良氏が最初に当地へ入ったルーツが多良木相良氏関連の史跡で確認できます。残念ながら、球磨川の改修工事で頼影館の建物は現存しません。