万江阿蘇神社 球磨郡山江村万江地区の開拓の神様
万江阿蘇神社は、1728年当時の万江村の領主、万江氏が建立した神社です。万江村の開拓にあたり、人吉の青井阿蘇神社から分祀されたものといいます。鳥居の前には、神社建立と同時期からあるといわれるイチョウの木があります。ご神木のイチョウは母乳にご利益があるとされますが、村指定の文化財です。
万江阿蘇神社は、1728年当時の万江村の領主、万江氏が建立した神社です。万江村の開拓にあたり、人吉の青井阿蘇神社から分祀されたものといいます。鳥居の前には、神社建立と同時期からあるといわれるイチョウの木があります。ご神木のイチョウは母乳にご利益があるとされますが、村指定の文化財です。
山田大王神社で特徴的なのは、その祭神です。「山田」というのはこのあたりの地名です。神社を建てたのは相良氏です。しかし、「大王」が意味するのは相良氏自身のことではありません。相良氏が滅ぼした、かつての「大王」平河氏を意味します。
人吉球磨地域で一番のメジャースポット「青井阿蘇神社」、日本最南端の国宝です。国宝となる前から大勢人が集まっていましたが、国宝となってからは神社周辺も整備され、さらに観光地らしくなってきました。名実ともに人吉市いちのパワースポットとなっています。
老神神社は人吉城のお堀のすぐ外側にあります。相良氏が氏神として篤く保護した神社です。地元の人は「おいかみさん」と呼び親しんでいます。青井阿蘇神社ほど規模は大きくなく、派手さもありませんが、人吉城大手門のながめと一緒に見ておいて損はないと思います。
木本神宮は相良長毎(ながつね)が、市房山神宮参詣が2度にわたり叶わなかったため、岩城跡に創建しました。相良氏が人吉球磨地域に入国する以前、現在の錦町木上地区一帯は、豪族平河氏が本拠地として、勢力を誇っていました。平河氏が居城としていたのが岩城です。
雨宮神社は、熊本県球磨郡相良村にある、雨乞いで有名な神社です。川辺川をさかのぼると、浸食によってできた「雨宮の森」という小山があります。最近は「トトロの森」とよぶ人もいます。夏目友人帳のファンにとっても有名なスポットです。
熊本県の球磨川と川辺川の合流点、球磨川第四橋梁の少し上流に井沢熊野座神社が鎮座します。地元の人は「権現(ごんげん)さん」と呼び親しんでいます。井沢熊野座神社は別名、「井沢権現社」ともいいます。1542年に再建された中央殿は、神社社殿としては人吉球磨地域で最古の建物です。
市房山神宮は市房山をご神体として、山中の本宮、山麓の中宮(一宮神社)、湯前町の下宮(里宮神社)の三社で構成されています。一宮神宮は市房山神宮の中宮という位置づけになります。「お嶽さん参り」のコースのひとつで、市房山神宮を目指す藩主や領民の、唯一の休憩場所として利用されていました。
人吉球磨の最高峰が市房山になります。古来から人吉球磨の人々は市房山を信仰の対象としてきました。市房山のことを「お嶽さん」と呼び親しんでいました。市房山神宮が建立されたのは平安時代にさかのぼります。 市房山の中腹に社殿が建立されたのは807年のことでした。
神瀬住吉神社は、航海や交通安全の神として、球磨川を行き来する藩主や船頭たちの信仰を集めた神社です。道路や橋が整備されていない時代は、荷物は球磨川を利用し舟で運び、対岸には船で渡っていました。灯台型の灯篭がこの表れであるといいます。
鎌倉時代、荒田大王神社のある錦町木上地区は平河氏の本拠地でした。平河氏は人吉の地頭として入国した相良氏に「血敷原の戦い」で敗れました。相良長頼は、平河氏の怨霊を鎮めるため、荒田大王神社を造りました。平河氏の遺徳を偲ぶ領民からは、「大王さん」とよばれ祀られたといいます。
一武八幡宮(いちぶはちまんぐう)は、熊本県錦町にある神社です。旧一武村の村社であり、昔から厄除け・開運の神さまとして知られています。近年参拝者が増えたのは、夏目友人帳の聖地のひとつとされたためです。