多良木天満宮は、熊本県球磨郡多良木町にある神社です。
この地域で「天神さん」というと多良木天満宮のことを指します。
多良木町だけではなく、湯前町の南部の方にも親しまれています。
ご祭神
ご祭神はご存知、学問の神様として知られる菅原道真公です。
九州の菅原神社は、ほとんどが太宰府天満宮から分祀されています。
ところが、多良木天満宮は、京都の北野天満宮から分祀されたといわれています。
903年に菅原道真公がなくなったのは、左遷先の筑後国(現在の福岡県南部)大宰府でした。
その後、京都では異常気象や疫病など、不吉なことが続きました。
これを道真公のたたりとして恐れ、919年に道真公のお墓に神社が造られました。
これが、太宰府天満宮の起源となります。
以後も、天皇家の周りでは、不幸な出来事は収まりません。
990年からは、本来天皇や皇族を祀る神社の社号である。「天満宮」も併用されることになりました。
北野天満宮も同様に、道真公のたたりを鎮めるために、都に造られた神社です。
947年創建で、987年に北野天満宮の社号が与えられました。
通称、天神さん、北野さんとよばれ、太宰府天満宮とともに、天神信仰の中心となっています。
幸野溝
多良木天満宮の周辺は、中原(ながばる)といって、幸野溝というかんがい用水路ができたことにより、米作地となった東方(ひがしかた)村の中心地でした。
東方村というのは、現在の多良木町東部と湯前町南部にまたがり、存在していた村です。
幸野溝と多良木天満宮は深い関係があります。
それは、幸野溝がなかったら、東方村もなかったかもしれないからです。
幸野溝は人吉藩の事業でした。
私財を投げうってまで工事をやり遂げた人吉藩士、高橋政重がこの中原の地に創建したのが、多良木天満宮なのです。
社殿
向って右側が阿形(あぎょう)でしたっけ?
左側が吽形(うんぎょう)でした。
拝殿です。
拝殿の内部です。
裏に回ってみます。
立派な本殿です。
10月の終わりごろが大祭です。
昔は、このころには霜柱が立っていたとか・・・。
摂社の風神社と稲荷神社
風神社は、もともと多良木天満宮の摂社ではなかったのですが、近くに鎮座していたため、最近になって天神さんの境内に移されています。
台風による米作の被害が出ないことを祈って建てられたものだそうです。
摂社としてもう1社、稲荷神社がありました。
イチイガシ群
人吉藩を700年にわたり治めた相良氏は、イチイガシなどの大木を保護する政策をとっていました。
中原にもイチイガシの大木があり、いい伝えや形跡が残っているそうです。
多良木天満宮にも、3本のイチイガシの大木が残されています。
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