照島神社は、鹿児島県いちき串木野市の照島にある神社です。
歴史的な逸話の多い島で、景観地でもあるため、ちょっとした観光地になっています。
照島
照島周辺には、多くのスポットが点在しています。
手前から、順路順に記事にしています。
照島海の駅
参道に入る大鳥居の前には、観光地らしいお店があります。
照島海の家というのは、海産物がそろう物産館です。
海の家食堂
海の家食堂は、いちき串木野市の特産品である、マグロの料理が楽しめます。
訪れた日も多くのお客様でにぎわっていました。
大鳥居
駐車場が鳥居より奥にあるので、着いた時にはすでに車でくぐっています。
太鼓橋
参道をまっすぐ進むと、照島に渡る神橋が見えてきます。
神橋は、太鼓橋ともよばれています。
薩摩焼陶工上陸の地
薩摩焼というのは、鹿児島県で造られる陶器のことです。
日置市の美山が、薩摩焼の里として有名です。
島津義弘公が文禄・慶長の役で朝鮮出兵したときのことです。
朝鮮の陶工、約70名を薩摩に連れてきました。
しかし、陶工たちは鹿児島に行くことを拒み、照島に上陸したといわれています。
上陸記念碑は、「平べどんの角」とばれています。
唐ねこどん
唐ねこどんというのは、参道の石段の両脇に構える狛犬のことです。
名前から察するに、「いっぬ」ではなく「ぬこ」なのです。
手洗鉢
1701年に海難事故で大勢の方が亡くなっています。
亡くなった方を供養するために造られた手洗鉢です。
馬頭観音
参道をそのまままっすぐ進んだところは、馬頭観音が置かれています。
家畜の守り神です。
本当に馬の頭の観音さまです。
経塚の碑
その昔、照島は冠岳の仏教僧の修行場でした。
経塚は経典が埋められた神聖な地です。
照島神社
ご祭神
大己貴命(おおなむちのみこと) | 大黒さま |
少彦名命(すくなびこなのみこと) | 恵比寿さま |
大山積命(おおやまつみのみこと) | 山の神 |
ご利益
照島神社は海の守り神として知られます。
ご祭神は、商売・縁結び・農業・林業の神さまになります。
小舟は、翌朝には照島に流れ着いたため、これを漁業の守り神としてまつっています。
照島神社が、漁業・航海安全の神さまである由縁です。
徐福さま上陸の地
照島神社から、さらに照島を奥に進みます。
はるか昔、秦(紀元前の中国)の時代です。
徐福さまは、始皇帝に命じられ不老不死の仙薬を手に入れるため、日本にやってきました。
古代山岳仏教の聖地、いちき串木野市の冠岳に永住したといわれています。
その徐福さまが上陸したのも、照島でした。
男淵(おぶち)・女淵(めぶち)
男池(おいけ)、女池(めいけ)ともいいます。
伊邪那岐命と伊邪那美命の第三子、夷の三郎の神(えびすさま)は照島で養生していたと伝わります。
男池と女池は、夷の三郎の神が釣りをしながら、両親を偲んでいた場所とされています。
展望台側の大きな入江が男淵で、すぐとなりの小さい入江が女淵です。
驪龍巖(りりょうがん)
1790年、島津斉宣(なりのぶ)公が照島に立ち寄った際、男淵と女淵を見てその風光明媚さに感銘しています。
「まさにこれは岩を抱いてうずくまる龍の姿である。」といい、男池の上の岩に「驪龍巖」と彫らせました。
驪龍(りりょう)というのは、黒色の竜のことで、巖(がん)というのは岩のことです。
それにしても、斉宣公は難しい漢字を彫らせたものです。
確かに、龍の背中に乗っていいるような感じでした。
展望所
東屋と驪龍巖の説明版があります。
照島の端には日支事変の記念碑があり、漁港の堤防が伸びていいます。
照島の猫
照島にはあちこちにネコがいます。
毛色もさまざまですので、見分けがつきやすいです。
まるで照島神社の生きたお神使いのように動いています。
たまに、休んでいるネコもいました。
ただし、餌付けは推奨されていません。
なぎさ公園
照島から帰るとき、太鼓橋から見える公園をなぎさ公園といいます。
その奥の波止場をフィシャリーナとよんでいます。
対岸に照島を見ることのできる公園です。
照島海水浴場
照島から東に見えていた砂浜は、照島海水浴場です。
日本三大砂丘、吹上浜はここが最北端になります。
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