戸馳小学校は、かつて熊本県宇城市にあった公立小学校です。
ミニバスケットボールの強豪校として、全国に知られていました。
八代海に浮かぶ戸馳島
戸馳島は、八代海(不知火海)の北部にある面積6.94kmの島です。
宇土半島とはわずか400mですが、モタレノ瀬戸で隔てられる離島です。
多くの貝塚が発見され、古くから人が住んでいた形跡が残っています。
1973年(昭和43年)、戸敷大橋が完成したことにより、離島という意識がなくなりました。
戸馳島では、島特有の温暖な気候を利用して、花木の栽培に取り組んでいます。
特に洋ランは年間 150 万株を出荷する、日本有数の産地になっています。
洋ランの島
洋ランの栽培が盛んになってからは、フラワーアイランドの異名があるほどです。
戸馳島には、「花のがっこう」という、テーマパーク的な観光施設が造られています。
生産ハウスを見学し、洋ランの成長の様子をみることができます。
もちろん、花を買うことができます。
スクールバスで登校
戸馳島には、農業のほか漁業などの基幹産業があり、1島単独で戸馳村という独立した自治体でした。
三角町と合併した1955年(昭和30年)の人口は、3,000人を超えています。
以降、過疎化は進んでいますが、現在も1,000 人を超える島民が住んでいます。
宇城市となった現在、子供たちはスクールバスで三角小学校へ通学しています。
ミニバスケットボールの強豪校
戸馳小学校は、1987年(昭和62年)に、全国ミニバスケットボールの全国大会に初出場しています。
以来、全国大会に何度も出場する、熊本県屈指の強豪校でした。
ミニバスケットボールの伝統は、三角小学校へ引き継がれています。
閉校記念碑
戸馳小学校の閉校記念碑は、かなり凝った作品になっています。
タイトルは「こころのふるさと戸馳校」です。
中央の穴は、戸馳島をかたどったものです。
礎石の碑版では、校歌と戸馳小学校の歴史を見ることができます。
明治、大正、昭和時代初期までの木造校舎です。
昭和時代の木造校舎です。
そして、現存している校舎です。
創立百周年記念碑
正式には「創立百年祭記念碑」と書いてあります。
やはり、全国探しても唯一無二の形です。
よく見ると、コンクリート壁には周辺の名所が書かれています。
すばらしい取り組みです。
校内
島ということで狭い校地を想像していましたが、実際はメチャクチャ広い敷地を持ちます。
戸馳島は、最も高いところでも標高73mとなだらかなので、比較的有効に土地を利用できます。
ちなみに、島の海岸線長は16.5㎞です。
広々として、気持ちの良い雰囲気でした。
体育館
ミニバスケットボール部が特訓をしていた、体育館を見ることができました。
ここを足掛かりに全国へ進出した、由緒ある体育館です。
雨ニモマケズ
いったん校外へ出たところに、1975年(昭和50年)卒業生の記念作品がありました。
テーマは、宮沢賢治の代表作品「雨ニモマケズ」です。
沿革
1874年(明治7年) | 第10大区第8小区戸馳小学校創立 |
1919年(大正8年) | 戸馳尋常小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 戸馳国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 戸馳村立戸馳小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 三角町立戸馳小学校へ改称 |
2005年(平成17年) | 宇城市立戸馳小学校へ改称 |
2005年(平成17年) | 宇城市立三角小学校へ統合 閉校 |
関連記事
【関連記事】野崎港 戸馳島と宇土半島を結んだ野崎渡し船博洋丸の母港
【関連記事】三角東小学校 鋼材で覆われる淡いピンク色の独特な木造校舎
【関連記事】大岳小学校 広大な運動場と豊かな植栽を持つ旧三角町の学校
【関連記事】遺構めぐりが楽しくなる本 いまそこにある建物の目的と背景