富隈 (とみぐま) 城というのは、鹿児島県霧島市にある城跡です。
![富隈城の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
薩摩国の城は強固な守りの山城なのに対し、富隈城跡は平野部にある平城です。
富隈城とは?
![富隈城の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
島津家第16代当主島津義久は、豊臣秀吉の九州征伐により強制的に隠居に追い込まれています。
![富隈稲荷神社の鳥居](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1595年から、鹿児島の内城を去ることになった義久公が住んだのが富隈城です。
![史跡富隈城跡の石碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
城とはいっても丘の上に屋敷が建てられただけで、防衛面では非常に弱い城でした。
![富隈稲荷神社 石段](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
これは、豊臣秀吉に配慮したものといわれています。
![富隈城大手門の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
石垣は肥後国八代の石工が積んでいて、肥後隈本藩主・加藤清正が寄進した清正岩という巨石が残ります。
![富隈城大手門の石垣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1604年には、国分城の築城により廃城となっています。
![富隈城大手門](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大手門はそのまま、NHK鹿児島放送局の放送所の門になっています。
![NHK鹿児島放送局隼人ラジオ放送所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
島津義久
![富隈城跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
島津義久は、薩摩国・大隅国・日向国の三州統一を果たした戦国武将です。
![富隈城の本丸](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その勢いは止まらず、肥後国(現在の熊本県) 筑前国(現在の福岡県) に侵攻し、九州統一を目前にしていました。
![富隈城跡の石段](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
豊後国(現在の大分県) に攻め入った後、豊後国領主・大友宗麟は、豊臣秀吉を頼っています。
![富隈城跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
豊臣軍は、20万人を超す兵を九州に送り込み、島津軍を薩摩国へ押し戻しています。
![富隈城跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1595年、島津義久は、豊臣秀吉に強制的に隠居させられています。
![稲荷山公園の遊具](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし隠居とはいっても、薩摩藩の中では絶大な権力を握ったままでした。
![富隈城から見た隼人町街](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1602年、島津義久は正式に島津忠常に当主の座を譲ったものの、その後も家中に発言力を残していたといわれています。
![富隈城から見たNHK鹿児島放送局隼人ラジオ放送所のアンテナ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
本丸
![富隈城から見た桜島](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富隈城の最頂部からは、錦江湾と桜島が見えます。
![富隈城から見た薩摩半島](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
少し西を見ると鹿児島のある薩摩半島が見えます。
![富隈城から見た大隅半島](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それから少し東を見ると大隅半島が見えます。
![富隈城から見たホテル京セラ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
北には霧島の山々が見えます。
![富隈城から見た錦江湾](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
つまり、自国の領内を見渡せる場所です。
![富隈城から見た隼人町](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
義久公がなぜここに城を築いたのか、わかったような気がしました。
![NHK鹿児島放送局隼人ラジオ放送所のアンテナ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富隈稲荷神社
![富隈稲荷神社 鳥居](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
城内にある稲荷神社は、築城のさい島津家の氏神である稲荷神を勧請したものです。
![稲荷山公園 津波避難所の表示看板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
城跡の公園も、稲荷山公園といいます。
![富隈稲荷神社 社殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
御祭神は6柱です。
![富隈稲荷神社 拝殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
築城前には住吉神がまっつてありましたが、稲荷神と島津家の始祖夫妻を勧請しています。
![富隈稲荷神社 狛狐](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのもこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
得仏(島津忠久の法名)
得仏夫人
![富隈稲荷神社 狛狐](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 鹿児島県霧島市隼人町住吉
![富隈稲荷神社 石燈籠](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
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