十島(としま)観音は、相良三十三観音霊場の14番札所となります。
観音堂は十島菅原神社のとなりにあります。
蓮花院(れんげいん)
ご本尊は、蓮花院にあった堂舎・安養寺にまつられていたものです。
蓮花院は、元寇(蒙古襲来)・ 慶長の役に従軍した、 願成寺十三世の勢辰が、十島菅原神社の別当寺として開いた寺です。
1627年、蓮花院の門徒の中に、一向宗の信徒がいたことが発覚し大事件となりました。
お堂は、1683年以降2度の移転を行い、1965年(昭和40年)ごろ現在の場所に落ち着いています。
現在のお堂は、1995年(平成7年)に建てられたものです。
ご本尊
ご本尊は聖観音菩薩立像です。
慈悲の心で、あらゆる人の悩みや苦しみを救う観音さまです。
そのほか
- 十一面観音
- 千手観音
- 如意輪観音
- 馬頭観音
- 准胝観音
の六観音が安置されています。
一向宗とは ?
一向宗というのは、浄土宗の宗派のひとつです。
徳川幕府がキリスト教を禁止したのは、1664年のことです。
それに先立ち1554年、薩摩藩や人吉藩では一向宗の禁令を出しています。
藩による監視や弾圧は、それはそれは厳しいものでした。
一向宗禁止の理由
すべての命は等しく尊い
いまでこそ多くの人に共有されている価値観です。
しかし、封建体制全盛のこの時代になじむ教えではありませんでした。
仏教戒律に反する
肉を食べ、妻を持ち、髪を伸ばす。
一向宗の僧は、当時の常識的な宗教者からすると、異質に見えました。
藩は、それを誇るかのような言動が目立ったことを、禁令の理由にしています。
本山への上納
本山である本願寺への上納が、領内の金銀流出もたらすというものです。
一向宗禁止の表向きな理由は、上記のようなものでした。
一向一揆
一向宗の信徒は、それまでに「一向一揆」といって、時の権力対する抵抗運動を繰り返していました。
領主たちがいちばん恐れていたのは一揆であり、禁令の最大の理由ではないかといわれています。
蓮花院の隠れ一向宗信徒
1627年、十島観音に由来する蓮花院では、檀家に一向宗の 信徒がいたことが発覚しています。
信者の家からは仏像仏具が押収され、十島菅原神社で焼却されました。
十四人淵(じゅうよったりふち)
1687年には、十島観音堂の上流の川辺川で、 細紐で互いの体を結び合った男女14人の死体が浮いた事件がありました。
一向宗の隠れ信徒で、禁令を犯したことが役人に知れ、捉えられる前に入水自殺したものです。
生きて地獄を味あうより死を選んだのだといいます。
それほど、一向宗禁止の罰則は、厳しいものでした。
【十四人淵】
花立
一向宗禁止令のあと、球磨郡中の信者の家から、仏壇仏具が集められました。
これらは、十島菅原神社あたりに仏壇仏具焼却所を設け、そこで焼却処分されました。
焼却で煙が上がるたびに、それを球磨川の対岸から見て、花を添えて拝んだおばあさんがいました。
おばあさんが花を添えていた場所は、かくし石仏がおかれています。
その場所は「花立」とよばれるようになりました。
【かくれ念仏 花立】
場所 熊本県人吉市七地町329
【十島観音堂】
場所 熊本県球磨郡相良村柳瀬
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