通潤橋(つうじゅんきょう)は、熊本県山都町にある石橋です。
1854年につくられた、日本最大級のアーチ橋となります。
水路橋
通潤橋が完成したのは、江戸時代のことです。
まず、重機のない時代に、76Mもある石橋を人力で架けたことに驚きます。
そもそも、この地域の石工技術が成熟していたからこそ完成した橋です。
しかし、通潤橋はただの石橋ではありません。
求められた役割は、周りを谷で囲まれた白糸台地に、水を送ることでした。
通潤橋は、農業用水を送るための水路の一部なのです。
木製の水路では、水の勢いですぐ壊れてしまいます。
石造水路にすると、漏水してしまいました。
そこで、石と石のつなぎ目に、しっくいをすることで解決しました。
そして、現在も現役の水路として、白糸地区に水を送り続けています。
なぜ放水するの?
通潤橋の写真を見ると、その多くが橋の真ん中から放水しています。
放水の目的は、送水路に堆積した土砂を取り除くことです。
ですから、放水していない姿が標準形です。
観光地となった現在は、毎日のように観光用に放水をしています。
見たい方は、放水カレンダーをチェックしてから訪れるといいでしょう。
道の駅通潤橋
通潤橋をながめる、ベストポジションが道の駅となっています。
通潤橋の放水時間の前には、大勢の人が詰めかけます。
道の駅から歩道が続いていて、さらに近くで通潤橋を見ることができます。
ただし、通潤橋の橋の上は立入禁止になっていて、渡ることはできません。
「虹の通潤館」というのは物産館で、「いしばし」というのはレストランです。
通潤橋史料館と山都町民俗史料館が併設される、旧矢部町観光の中心スポットです。
功労者
通潤橋というか通潤水路全体を企画したのは、当時の惣庄屋(現在でいえば町長)だった、布田保之助です。
通潤水路だけでなく、多くの水路や道路そして石橋をつくり、矢部地域の発展に貢献した人物です。
そして、通潤橋工事の石工頭は、橋本宇一です。
もちろん種山村の石工です。
副頭だった、橋本丈八(のちの橋本勘五郎)は弟です。
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