釜の奥戸(かまのくど) 30万年前の火山活動の痕跡
道の駅人吉のキャンプ場そばの鳩胸川に見られる奇石群を「かまのくど」とよんでいます。それは、自然の偶然によって30万年もかかってできあがったものです。火山活動、川の浸食、ほどよい年月のどれが欠けても見ることができません。鳩胸川でも、見られるのは500mだけです。
道の駅人吉のキャンプ場そばの鳩胸川に見られる奇石群を「かまのくど」とよんでいます。それは、自然の偶然によって30万年もかかってできあがったものです。火山活動、川の浸食、ほどよい年月のどれが欠けても見ることができません。鳩胸川でも、見られるのは500mだけです。
赤池観音は相良三十三観音霊場の33番札所です。相良氏の出城であった赤池城跡にある観音さまとなります。相良三十三観音廻りでは、1番札所から順番に回っても、順不同で回ってもよいとされています。1番札所から順番に回られた方は、最後の観音さまとなります。
久米治頼神社は、当主に反乱を起こした相良治頼(はるより)とその母がご祭神となります。相良治頼の病死後ほどなく、領主相良義滋(よししげ)も亡くなったため、治頼とその母のたたりがあるのではないかということで、供養の意味を込め建立された神社です。
矢瀬が津留(やせがつる)観音は、相良三十三観音霊場の3番札所です。相良氏が人吉城入城の際、かつての城主、矢瀬主馬助(やせしゅめのすけ)を謀殺しました。大みそかの出来事で、一本門松の由来にもなっています。その矢瀬氏の霊をまつる増運寺が、矢瀬が津留観音の由来です。
人吉街道沿いの直立する男性のシンボルが目印です。子宝や安産、下半身の病気、婦人病の神様ですが、男性の下の神様としても崇められています。つまり、精力増強です。言い伝えをきいて、はるばる遠くからお参りに来られているのだそうです。
新宮寺観音は相良三十三観音霊場の32番札所となります。周辺は樹齢を重ねたモミジやカエデ、イチョウなどがあり、新緑や紅葉のスポットとしても知られています。 観音堂にはそれぞれ違った仏師が、年代を追い彫作した六観音が安置されています。
人吉市から県道33号線を 水上村方面へ向かって走ります。すると、あさぎり町へ入ってすぐ、球磨川沿いに奇岩が表れます。ここらへんから球磨川を見ると魚背岩が見えます。このへんの景色が夏目友人帳の聖地となっています。
合戦峰(かしのみね)観音は、相良三十三観音霊場の12番札所です。勝負ごとや競争ごとにご利益があると伝えられています。観音堂に隣接する、おシャレなデザインの物産販売所とトイレも見どころです。あの新国立競技場をデザインした建築家が設計しています。
御大師堂は日本遺産人吉球磨の構成文化財29番となります。この地区では「御大師堂」といえば湯前町の「おだいし」のことを指します。湯前町内や球磨郡内にも弘法大師像はあります。しかし、地名や冠名をつけずに「御大師」といえばここを指します。
このダムの面白いところは、直線距離で3㎞のところにある「油谷ダム」とセットで運用されるところです。落差490mを利用してタービンを回します。そして、また揚水して何回も繰り返して水を利用するしくみみたいです。ダムカードは残念ながら発行されていないようです。
石室(いしむろ)観音堂は、相良三十三観音霊場の7番札所となります。もとは石室寺のご本尊でしたが、原田喧嘩により石室の名前と観音さまだけを残し廃寺となってしまいました。現在は、石水寺という大きなお寺の一角にお堂が残されています。
嵯峨里(さがり)観音は、相良三十三観音霊場の6番札所となります。ご本尊は、十一面観音坐像です。家を火災から守り、子どもの健康と幸せを守ってくださる、ありがたい観音さまです。江戸時代中期の作とされ、1752年に豊前中津の仏師が彩色しています。