揖宿神社 オオクスに抱かれる温泉地指宿の古社
揖宿(いぶすき)神社は、鹿児島県指宿市にある神社です。706年創建の、歴史ある古社となります。薩摩藩第10代当主、島津斉興(なりおき)公以降、指宿は薩摩藩主御用達の温泉地でした。殿様湯の近くにあったせいか、揖宿神社は島津氏に代々尊崇されています。
揖宿(いぶすき)神社は、鹿児島県指宿市にある神社です。706年創建の、歴史ある古社となります。薩摩藩第10代当主、島津斉興(なりおき)公以降、指宿は薩摩藩主御用達の温泉地でした。殿様湯の近くにあったせいか、揖宿神社は島津氏に代々尊崇されています。
桐原の滝は、鹿児島県曽於市の大川原峡渓谷にある滝です。滝の下流部が桐原の滝公園として整備されていて、駐車場からは急傾斜や長い遊歩道もないため、苦もなくたどり着くことができます。すぐ上流は、大川原キャンプ場です。
市来神社は、鹿児島県いちき串木野市にある神社です。紀伊国(現在の和歌山県)の熊野三山と、天満宮の流れをくむ、旧市来町の古社です。ご祭神の熊野神と八咫烏(やたがらす)から、サッカーの神さまとして知られています。
比曽木野(ひそきの)小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年以上も前に学校としての役目は終えていますが、現在でも一見して学校跡とわかる雰囲気が残っています。
指宿海軍航空基地は、かつて鹿児島県指宿市にあった、旧日本海軍の軍事拠点です。防衛線が本土に近づくにつれて、重要性が増した水上機基地でした。現在の休暇村指宿一帯が、かつての海軍航空基地となります。
神貫神社(かみぬきじんじゃ)は、鹿児島県垂水市にある神社です。大隅隼人の氏神で、当時は垂水一帯が社領地でした。のちに手貫神社との争いに敗れ、新城が社領となります。拝殿には、日光東照宮を彷彿とさせる眠り猫の彫刻が見られるほか、鳥居の横には垂水の13柱の田の神で最も古い、田の神1号を見ることができます。
まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。地名から、青戸飛行場とか上別府飛行場ともよばれていました。跡地は農地となり空港の面影はありませんが、米軍上陸に備えてつくられたトーチカが残っています。トーチカは戦後75年を経過した今も、しっかりと原形をとどめたままです。
南方神社のご祭神は、長野県の諏訪大社と同神です。本記事では、鹿児島県薩摩川内市にある、3つの南方神社について書いています。高江町の南方神社は、春祭りの太郎太郎踊り。湯島町の南方神社は、並立鳥居。向田町の南方神社は、島津義久公と義弘公のゆかりの地で知られています。
福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、広い跡地には多くの学校遺構が残されています。閉校記念碑に刻まれた文字は、「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」です。
丸木浜は、鹿児島県南さつま市坊津町にある海岸です。リアス式海岸で名高い坊津町ですが、丸木半島の付け根には砂浜が広がっています。丸木浜は、夏になると海水浴場として開放されます。オフシーズンこそひっそりしていますが、シーズンになると大勢の人が詰めかけます。丸木浜キャンプ場は、海水浴シーズンに合わせた期間限定営業です。
関之尾滝(せきのおのたき)は、宮崎県都城市にある大きな滝です。大淀川支流の庄内川にある滝で、観光地になっています。並ぶ見どころが、日本のみならず世界的にも類を見ない、大規模な甌穴(おうけつ)群です。火山活動と水の流れが、永年をかけて造り出した、特徴的な造形を見ることができます。
南薩鉄道というのは、かつて鹿児島県にあった私鉄です。南薩鉄道といえば、薩摩半島の西岸を縦貫していた枕崎線が有名です。しかし、過去には知覧線と万世線という東西に走る路線がありました。いずれも半世紀以上前に廃線となっていて、遺構らしい遺構は残っていません。