丸米小学校 ご当地ソング丸米カノンで活性化
丸米(まるよね)小学校は、かつて熊本県葦北郡芦北町にあった町立小学校です。跡地は、丸米地区生涯学習センターとして利用されています。校区の丸山地区と米田地区は、旧湯浦町の町域でした。運動場にある大きな壁には、ご当地ソング「丸米カノン」の歌詞と祭りの絵が描かれています。「丸米カノン」は、芦北町に移住した農明(のうみん) シンガー・天波博文さんが、地域活性化のために書いた曲です。
丸米(まるよね)小学校は、かつて熊本県葦北郡芦北町にあった町立小学校です。跡地は、丸米地区生涯学習センターとして利用されています。校区の丸山地区と米田地区は、旧湯浦町の町域でした。運動場にある大きな壁には、ご当地ソング「丸米カノン」の歌詞と祭りの絵が描かれています。「丸米カノン」は、芦北町に移住した農明(のうみん) シンガー・天波博文さんが、地域活性化のために書いた曲です。
垂水駅は、かつて鹿児島県垂水市にあった国鉄大隅線の駅です。駅跡は、鉄道記念公園として整備されています。1972年(昭和 47年)に、大隅線は待望されたはずの全線開通を果たしますが、わずか15年後に廃止された短命路線でした。垂水から鹿児島市へ行くのには、垂水フェリーで行くのが近道でした。 2018年(平成 30 年)にオープンした道の駅たるみずはまびらを見れば、大隅半島が自動車社会であることを実感させられます。
野田郷熊野神社は、鹿児島県出水市にある神社です。島津家初代、島津忠久によって創建された野田郷の守護神です。野田郷というのは旧野田町、現在の出水市野田町のことです。郷というのは、薩摩藩の外城制における行政区画の名称ですが、野田町では町村制施工後も郷という呼び方を使ってきました。中心駅が野田郷駅であることからもそのことがうかがえます。
奈佐木小学校は、かつて宮崎県小林市須木奈佐木にあった、公立小学校です。もっとも閉校したのは、小林市となる以前の須木村だった時のことです。須木奈佐木は、めだかボックスに登場する「須木奈佐木咲」のモデル地名です。同マンガの登場人物には、九州地方の地名が使われています。マンガのキャラは凶暴な一面を持つ須木奈佐木咲ですが、実際の須木奈佐木地区に凶暴な要素は見当たりませんでした。
ホテル高串は、かつて鹿児島県長島町にあったホテルです。蔵之元のフェリー乗り場から、岬にある大きな建物が良く見えます。ながめのよさそうな温泉付きホテルなのですが、残念なことに、2012年(平成24年)ごろから休館中です。ホテルから先の岬全体が高串崎公園です。キャンプ場があったのですが、現在は元の森に戻りつつあります。長島でも西に突き出た岬の先に展望所が残され、美しい眺望が開けていました。展望所には祠があり、釣り人も出入りするため道も手入れされています。
西方海水浴場は、鹿児島県薩摩川内市西方町にある海水浴場です。国道3号線と肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)沿いにあり、昔からとてもにぎわっていました。直接東シナ海に面しているため、冬は西風が直接吹き付ける波高い海岸になります。最近は、サーフスポットとして有名で、冬でもサーファーが集まります。南側の海岸には、人形岩と呼ばれる奇岩があり、夕映えスポットとして知られています。
紫尾(しび)神社は、鹿児島県薩摩郡さつま町にある神社です。祁答院七ヶ郷の総社また北薩摩の総鎮守とされる古来より格式ある神社であり、別当寺の神興寺とともに悠久の史跡が残っています。周辺の紫尾温泉は、泉源が神社境内にあるため神の湯とよばれています。その昔から交通の不便な場所にあるにもかかわらず、聖地として参詣が多かったのですが、現在でも三ヶ日には多くの人が初詣に訪れています。
城内小学校は、かつて鹿児島県南大隅町にあった町立小学校です。校名のとおり、お城の中で創立した小学校でした。1949年(昭和24年)に、国見城の西にある台地の集落へ移転しています。学級数適正化による統廃合のため、旧根占町の小学校は神山小学校に統合されることになりました。2013年(平成 25年)に、その113年の長い歴史に幕を下ろしています。
蔵之元港は、鹿児島県長島町にある、牛深港行きの三和フェリーの乗り場です。カーフェリーが就航するだけではなく、観光専用のグラスボートが運行しています。フェリー乗り場横の民宿えびす屋でグラスボート乗船を受付ています。グラスボートというのは、船底がガラス張りで海底や海中を観察できる船です。海底のサンゴや生物を見るだけではありません。絶対に船でしかいくことができない、長島の自然の造形美を堪能することができます。
立花ダムは、宮崎県西都市にある重力式コンクリートダムです。三財川総合開発事業の一環として、下流にある寒川ダムとともに建設されました。寒川ダムも人里離れていましたが、さらにその上流に位置するダムになります。山奥にありますが比較的大きなダムであり、常駐管理されています。道中の道路を見ると、豪雨や台風のさいは、孤立覚悟で仕事をされているのを察することができます。
笠沙町役場は、現在の鹿児島県南さつま市にあった役場です。庁舎は、南さつま市発足後も市役所の笠沙支所として使われる現役施設です。文化遺産といっても過言ではない、数少なくなってきた役所らしい建物です。2020年(令和2年)から移転工事が行われており、役目を新庁舎に譲ろうとしているため記事として残しておきます。
隼人小学校は、かつて鹿児島県阿久根市にあった公立小学校です。校区は市の北西部、旧三笠村のなかでも最北西部になります。一時は、隼人中学校が同居していました。学校としての役目を終えた施設は、現在、阿久根市脇本地区公民館隼人分館として使用されています。その建物や遺構は、学校当時の姿を色濃く残していています。隼人小学校に限らず、多くの閉校校舎は、公民館などの公共施設として現役で使われていますが、それが功を奏して、現在でも学校当時の姿を思い浮かべることができます。