深葉(ふかば)分校は、かつて熊本県阿蘇市にあった内牧(うちのまき)小学校の分校です。
現在は菊池阿蘇スカイライン沿いにあり、簡単に行くことができます。
僻地に文化を
深葉地区は、国有林のなかにできた営林集落です。
1959年(昭和34年)発行の広報くまもと 131号に、深葉分校の記事がありました。
「僻地に文化を」というタイトルからもわかる通り、道路と電気が文化的なものとして書かれています。
1957年(昭和32年)までは、菊池水源から営林署の林道をさかのぼって行くしかなく、 電気もきていませんでした。
当時、深葉分校へ通うのは、大部分が熊本市へ行ったことがない子どもたちでした。
文化の弊害
1959年(昭和34年)、校区には32戸 200名の住民がいて、深葉分校には、小学生が31名、中学生23名通学していました。
しかし先生が足りず、小学1年生から小学3年生までが同じ教室で学ぶ、重複式学級だったといいます。
平野部ではあって当たり前の道路と電気は、深葉分校にとっては文化的なものとして受け入れられています。
一方、道路と電気の開通により営林署の作業が効率化され、地域の仕事がなくなっていった様子が書かれています。
教育インフラの整備とともに、本校との学力差はなくなっていったのでしょう。
しかし地域には、いち早く過疎化の波が押し寄せることになります。
整然とした校内
付近には数軒の住宅が見えますが、占めるのは圧倒的に杉林です。
校地を見渡すと、閉校後も手入れされているのがわかります。
今でこそ内牧まで車で30分、 菊池市までも30分と僻地感は薄れました。
しかし、林業以外に主産業がなかった深葉地区に、代々残る人は少数派です。
分校は、深葉地区の往時のにぎわいを象徴する存在となっています。
沿革
1920年(大正9年) | 営林署の私立学校として開校 |
1935年(昭和10年) | 内牧尋常高等小学校深葉分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 内牧国民学校深葉分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 内牧町立内牧小学校深葉分校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 阿蘇町立内牧小学校深葉分校へ改称 |
2003年(平成15 年) | 阿蘇町立内牧小学校へ統合し閉校 |
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