八野(はちや) 小学校は、かつて鹿児島県志布志市にあった公立小学校です。
現在は、学童クラブで小学生が通うハイジの学校になっています。
ハイジの学校
旧八野小学校では現在、社会福祉法人若草会が学童保育を行っています。
社会福祉法人若草会は、本来認定こども園を運営している法人です。
その一部門として、小学生を対象とした学童保育事業を行います。
学童保育というのは、共働きなど帰宅しても保護者がいない児童のために、放課後や週末に児童を預かる事業です。
専門指導員が、学習面だけでなく遊びや生活面まで計画し、子どもの健全育成を手伝います。
平日は有明町の若草のがみこども園で学童保育を行い、週末や長期休暇のさいに、旧八野小学校へ来ています。
ハイジの学校とよんでいるのは、校舎が高原にあるからでしょう。
八郎ヶ野番所
志布志郷は、南西諸島や琉球国の起点であり、日向国の藩米の輸送拠点だったため藩政時代を通じて栄えていました。
志布志市は宮崎県串間市との県境ですが、志布志郷も日向高鍋藩との藩境でした。
街道には番所が置かれ、不法な物流や人流は厳しくチェックされます。
八郎ヶ野も藩境の要所で番所が置かれていました。
訪れてみるとずいぶん山の中へ進んできた感がありますが、かつての交通の要衝・八郎ヶ野はすぐそこです。
校内
学童保育で使われる現役施設であるため、現役の小学校と変わりなく管理が行き届いています。
特に、遊具は一般の小学校以上に充実しています。
ピークとなる1961年(昭和36年)には、八野小学校に179人の児童が通っていました。
晩年は特認校として校区外の児童を迎えています。
最終年の2010年(平成22年)度には、全生徒10人のうち校区内の生徒は1名だけとなっています。
体育館の前のイチョウは、明らかに学校創立前からあるような大木です。
記念碑
北門にあった閉校記念碑。碑文は「とこしへに 高く飛び立て 八野の空に」です。
裏面には学校の沿革が書かれています。
となりの「絆」と書いた碑は、閉校時に在校していた生徒たちの作品です。
玄関横の碑には、校舎改築記念碑と書いてあります。
2階建て校舎の前にも記念碑が並びます。
一番大きな碑は、創立百周年記念のものです。
となりの石碑には、点燈記念碑と書いてあります。
1949年(昭和24年)の点燈は、決して遅くはありません。
最も年季が入った石碑は、1925年(大正14年)に、校舎を建て替えたさいのものです。
木造校舎
八野小学校で注目すべきは、一部残る木造校舎です。
ほんの2室程度ですが、古き良き時代を回想するには十分です。
管理状態も良く、現役で使用されています。
沿革
1874年(明治7年) | 創立 |
1876年(明治9年) | 上出水簡易分校となる |
1892年(明治25年) | 八野尋常小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 八野国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 志布志町立八野小学校へ改称 |
2006年(平成18年) | 志布志市立八野小学校へ改称 |
2011年(平成23年) | 志布志市立潤ヶ野小学校へ統合し閉校 |
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