一宇治城跡は、鹿児島県日置市にある城跡です。
現在は、城山(じょうやま)公園として整備されています。
一宇治城の歴史
一宇治城は鎌倉時代に、伊集院郡司の紀四郎時治が築城した山城です。
以後、伊集院氏の居城となっています。
のちに、伊集院氏は島津氏をも凌ぐほど勢力を拡大しています。
しかし、1450年に島津氏が伊集院氏を追い出し、島津氏の勢力下となっています。
1536年には、三州統一を目指す島津忠良と貴久親子が居城とします。
先祖代々受け継いできた伊作城は、薩摩国でも西端にあり、一宇治城に拠点を移したものでした。
しかし、1550年に、島津貴久が第15代当主となると鹿児島内城に移り、一宇治城は地頭に譲っています。
1572年の木崎原の戦いで勢いづいた島津氏は、悲願の三州統一を果たすことになります。
三州というのは旧令制国である、 薩摩国・大隅国・日向国、の三国を指します。
1500年初頭には、島津氏の勢力圏は薩摩国の半分程度にしか及んでいませんでした。
島津忠良・島津貴久・島津義久・島津義弘らは3代をかけ、三州統一を果たしています。
城山公園
江戸時代になると、地頭仮屋が伊集院麓に移り、一宇治城は実質的に廃城となっています。
現在は城山公園として整備され、城の遺構を見学することができます。
鉄丸山 (144m) の地形を利用していて、複数の曲輪(くるわ)があり、それぞれに城が構築されていました。
その中心となる本丸は、神明城です。
1549年、フランシスコ・サビエルは、一宇治城で島津貴久に会い、 正式にキリスト教の布教許可を得ています。
神明城の跡に、フランシスコ・サビエルの会見記念碑が立っています。
心霊スポット?
鹿児島県では複数の城山公園が、心霊スポットとしてあげられています。
鹿児島市と霧島市の城山公園は、西南戦争や殺人事件など、原因も含めうわさされています。
ところが、日置市の城山公園は、霊の目撃情報はうわさされますが、その原因については言及されていません。
なかには、この3つの城山公園を明らかに混同している情報もあります。
昼間は散策するのが楽しい公園です。
ただし、伊集院駅がすぐそこだからといっても山中の公園です。
夜になると、昼間とは全く違った雰囲気になるはずです。
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