犬子迫(いぬこざこ)分校は、かつて波野村(現在の阿蘇市)にあった、楢木野小学校の分校です。
知る人ぞ知る、小説や映画の舞台となった学校です。
波野高原
1963年(昭和38年)の「広報くまもと」に、犬子迫分校の記事がありました。
記事によると、冬になると雪に閉ざされ、唯一の交通機関である単車もとだえてしまうとあります。
しかも、この時点で電気はきていませんでした。
しかし、生徒数は43名とあります。
今でこそ冬でも行けますが、当時は道路事情が非常によくなかったことがわかります。
原野の子ら
犬子迫分校は、1983年(昭和58年)に出版された、吉田優子さんの小説「原野の子ら」の舞台となっています。
小さな分校に赴任してきた女教師と生徒たち、そして、その家族との心のふれあいを綴った作品です。
1999年(平成11年)には、中山節夫監督により映画化されています。
作品を見ると実際に犬子迫分校でロケが行われていて、在りし日の姿を見ることができます。
オウム真理教波野道場
犬子迫分校があるのは、阿蘇市の最南東部・波野高原の山林原野の中です。
もともと旧波野村全域が、阿蘇の外輪山の中にありました。
波野村といえば、オウム真理教の波野道場を覚えている人もいるはずです。
2100人の村に500人ものオウム信者が移住し、村では大問題となりました。
波野道場は教団の武装化拠点で、生物化学兵器を研究していたことがわかっています。
犬子迫分校があるのは、波野道場よりさらに大分県寄りです。
建物は健在
エピソードが絶えない犬子迫分校ですが、校舎は体育館とともに健在です。
訪れてみた感じでは、現在は民有資産となっている可能性があります。
しかし、前からどうしても訪れてみたいと考えていたので、強いておじゃましました。
形あるうちに見ることができて、本当によかったと思います。
沿革
1901年(明治34年) | 仁田水分教場設置 |
1903年(明治36年) | 山崎分教場設置 |
1907年(明治40年) | 教場移転 |
1908年(明治41年) | 山崎分教場解体 |
1930年(昭和5年) | 分教場廃止 |
1934年(昭和9年) | 分教場設置認可・校舎落成 |
1947年(昭和22年) | 波野村立楢木野小学校犬子迫分校と称する |
1999年(平成11年) | 村内5校が合併し波野村立波野小学校創立 波野村立楢木野小学校犬子迫分校閉校 |
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