犬子迫分校 講堂

犬子迫分校 旧波野村のエピソード豊富な高原の分校と原野の子ら

犬子迫(いぬこざこ)分校は、かつて波野村(現在の阿蘇市)にあった、楢木野小学校の分校です。

楢木野小学校犬子迫分校

知る人ぞ知る、小説や映画の舞台となった学校です。

波野高原

広報くまもと 1963年No.163

1963年(昭和38年)の「広報くまもと」に、犬子迫分校の記事がありました。

広報くまもと 1963年No.163 20ページ
ルポ 山の分校から上段

記事によると、冬になると雪に閉ざされ、唯一の交通機関である単車もとだえてしまうとあります。

広報くまもと 1963年No.163 20ページ
ルポ 山の分校から下段

しかも、この時点で電気はきていませんでした。

熊本県道135号高森竹田線 犬小迫分校前

しかし、生徒数は43名とあります。

熊本県道135号高森竹田線 犬小迫分校前

今でこそ冬でも行けますが、当時は道路事情が非常によくなかったことがわかります。

犬小迫分校 校門

原野の子ら

原野の子ら 吉田優子

犬子迫分校は、1983年(昭和58年)に出版された、吉田優子さんの小説「原野の子ら」の舞台となっています。

犬小迫分校 校門の門柱

小さな分校に赴任してきた女教師と生徒たち、そして、その家族との心のふれあいを綴った作品です。

犬小迫分校 記念碑

1999年(平成11年)には、中山節夫監督により映画化されています。

作品を見ると実際に犬子迫分校でロケが行われていて、在りし日の姿を見ることができます。

犬小迫分校 創立80周年記念碑
犬小迫分校 閉校記念碑

オウム真理教波野道場

1976年(昭和51年) 犬子迫分校の航空写真
1976年(昭和51年) 犬子迫分校の航空写真

犬子迫分校があるのは、阿蘇市の最南東部・波野高原の山林原野の中です。

楢木野小学校犬子迫分校 校庭

もともと旧波野村全域が、阿蘇の外輪山の中にありました。

楢木野小学校犬子迫分校 校舎

波野村といえば、オウム真理教の波野道場を覚えている人もいるはずです。

広報あそ 2019.5月号
広報あそ 2019.5月号

2100人の村に500人ものオウム信者が移住し、村では大問題となりました。

楢木野小学校犬子迫分校 シーソー

波野道場は教団の武装化拠点で、生物化学兵器を研究していたことがわかっています。

楢木野小学校犬子迫分校 滑り台とジャングルジム

犬子迫分校があるのは、波野道場よりさらに大分県寄りです。

楢木野小学校犬子迫分校 遊具

建物は健在

楢木野小学校犬子迫分校 講堂

エピソードが絶えない犬子迫分校ですが、校舎は体育館とともに健在です。

楢木野小学校犬子迫分校 イッヌ

訪れてみた感じでは、現在は民有資産となっている可能性があります。

楢木野小学校犬子迫分校 校舎

しかし、前からどうしても訪れてみたいと考えていたので、強いておじゃましました。

楢木野小学校犬子迫分校 校内

形あるうちに見ることができて、本当によかったと思います。

楢木野小学校犬子迫分校 玄関

沿革

楢木野小学校犬子迫分校 講堂(体育館)
1901年(明治34年)仁田水分教場設置
1903年(明治36年)山崎分教場設置
1907年(明治40年) 教場移転
1908年(明治41年)山崎分教場解体
1930年(昭和5年) 分教場廃止
1934年(昭和9年)分教場設置認可・校舎落成
1947年(昭和22年)波野村立楢木野小学校犬子迫分校と称する
1999年(平成11年) 村内5校が合併し波野村立波野小学校創立
波野村立楢木野小学校犬子迫分校閉校
楢木野小学校犬子迫分校 回旋塔

場所 熊本県阿蘇市波野大字波野427

楢木野小学校犬子迫分校 ブランコ

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