改新小学校は、かつて鹿児島市古里町にあった公立小学校です。
閉校後は地域活性化につながる事業を行う施設・改新交流センターとして利用されています。
桜島南部にあった学校
古里町から北を見れば桜島、南には錦江湾の出口が見えます。
改新小学校は、雄大な桜島の自然とともに過ごした小学校です。
1914年(大正3年)の大正大噴火のさいは、となりの有村町の全集落が溶岩で埋まっています。
古里町は溶岩による埋没は免れたものの、多くの住民が島外に避難しています。
大正大噴火は1月12日でしたが、幸いなことに改新小学校では2月24日に授業を再開しています。
その後も桜島の火山活動が活発化するたびに噴石が襲い、住宅の窓ガラスが割れることがありました。
また噴火による山火事、豪雨による土石流やがけ崩れなどの、桜島ならではの自然災害が発生しています。
古里町の宿泊施設では、火山灰にも悩まされています。
降灰により、売り物である露天風呂が使えなくなることがありました。
改新交流センター
度重なる桜島の噴火で住民は減少し、改新小学校は1997年(平成9年)に休校となります。
そして、2014年(平成26年)に閉校しています。
現在は改新交流センターとなり、地域活性化の拠点となっています。
立地的には、桜島の大幹線となる国道 224 号線、通称・溶岩道路沿いです。
校舎には複数の企業が入居しています。
ゲストハウス ulalaかな「ふるさと」
さらに、教員住宅は一日一組限定の一棟貸しのゲストハウスになっています。
火山との共存生活を楽しむことができます。
七社神社
改新小学校のとなりには、七社(ななやしろ)神社が鎮座します。
古里町の村社となります。
ご祭神は、大名生命(おおなむちのみこと)です。
沿革
1879年(明治12年) | 古里小学校として創立 |
1892年(明治25年) | 改新小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 改新国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 東桜島村立改新小学校へ改称 |
1950年(昭和25年) | 鹿児島市立改新小学校へ改称 |
1997年(平成9年) | 休校 |
2014年(平成26年) | 閉校 |
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