神貫神社(かみぬきじんじゃ)は、鹿児島県垂水市にある神社です。
垂水市新城を社領としていた、大隅隼人の氏神です。
鳥居と石段
神貫神社の神域への入口となる、鳥居です。
コンクリート製の明神鳥居で、扁額は縦書きです。
境内へは石段を登って行きます。
田の神一号
田の神さぁ(たのかんさぁ)というのは、島津藩領内でみられる、稲作の神さまです。
田の神一号は、神貫神社の鳥居の横に鎮座しています。
1734年(享保19年)製のもので、2体が並んでいます。
一号というのは、垂水市内で確認されている13柱の田の神のうち、最も古いものであるためです。
手洗い鉢
神貫神社の手洗い鉢というのは、社殿入口にある手洗い鉢のことです。
1736年(享保21年)に寄進され、新城地区民が受け継いできた文化遺産です。
社殿
拝殿です。
コンクリート製に見えますが、要所に木材が使われています。
本殿です。
木鼻には彫刻が施されています。
眠り猫
眠り猫というのは、拝殿に彫られた猫のことです。
日光東照宮の眠り猫 引用:ニッポン旅マガジン
神貫神社の眠り猫は、日光東照宮の眠り猫を彷彿とさせる名作といわれています。
鹿屋市の旧鹿屋駅前通りにあった、重信工務店の作とされています。
重信工務店は鹿屋市から転居されていますが、転居先はわかっていません。
西南の役戦死者招魂墓
明治維新後、鹿児島へ帰った西郷隆盛は、よく新城の地で狩りや漁をしていました。
薩軍の新城隊は、旧新城領の鹿屋・高須等も合わせて約300名で編成されていました。
新城隊は田原坂などの激しい攻防戦を繰り広げ、戦死者24人、負傷者88人を出しています。
西南の役戦死者招魂墓には、戦死者24人の名前が刻まれています。
由緒
神貫神社は古代からある神社で、神木村の神木大明神とよばれていました。
大隅隼人と関係があり、当時は垂水一帯が社領地でした。
平安時代に、神木神社と手貫神社の間で社領地争いをしています。
手貫神社が開聞神社に援軍を求め、鹿児島神社が加勢したため、神木神社は戦いに敗れています。
以来、社領地は新城だけになってしまいました。
社殿は、幾度となく修造されていますが、1563年ころに神木神社より神貫神社に改められています。
現在の社殿は、1937 年(昭和12年)の火災後、建て替えられたものです。
ご祭神・ご利益
主祭神
神木大明神(かみきだいみょうじん) | 氏神 |
併祭神
伊弉冉命(いざなみのみこと) | 万物生みの神・結びの神・延命長寿・諸業繁栄の神 |
建御名方神(たけみかなかたのかみ) | 水を司る神・農業開発守護の神 |
事代主神(ことしろぬしのかみ) | えびす神・豊漁・商工業繁栄の神 |
倉稲魂神(うかのみたまのかみ) | 稲荷神・農業・商売繁栄の神 |
大山祇神(おおやまつみのかみ) | 山神・山林業の神・山岳崇拝の神 |
菅原道真(すがわらみちざね) | 天神・学問上達の神 |
速玉男神(はやたまおのかみ) | 良縁の神 |
事解男神(ことさかおのみこと) | 事物を明らかにし事態を収拾させる神 |
場所 鹿児島県垂水市新城3299
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