冠嶽神社は、鹿児島県いちき串木野市にある神社です。
一帯は、冠岳花川砂防公園として整備されています。
霊峰冠嶽
冠嶽というのは、西岳(516m)、中岳(196m)、東岳(486m)が連なる山の総称です。
かなり古い時代から、山岳信仰の対象でした。
そのため山中には多数の寺社が存在しており、宗教の一大聖地でした。
神社でいうと、西岳、中岳、東岳それぞれに、熊野権現を勧請した神社があり、冠岳三所権現とよばれていました。
東岳の山麓にあったのが、東岳熊野権現社です。
現在の冠岳神社になります。
中岳野権現社は中岳神社、 西岳野権現社は西岳神社となっています。
徐福伝説
徐福さまは、始皇帝に仕えた秦国(現在の中国)の人物です。
不老不死の薬草を手に入れるため、東へ向かって旅立ちました。
しかし、秦国には戻らず、たどり着いた地に永住したといわれています。
日本各地に徐福さまが住み着いた伝説は残っていますが、そのうちのひとつが冠嶽です。
目的地としていた、山人が住む三神山というのが冠嶽にピッタリ当てはまります。
ご祭神
- 櫛御毛野命(くしみけねのみこと)
- 大国主命(おおくにぬしのみこと)
- 豊受大神(とようけのおおかみ)
仙人岩
冠嶽神社の後ろにある山をよく見ると、山頂付近に岩肌が見えます。
この岩を、仙人岩といいます。
伝説通り、薬草が自生しています。
2006年(平成18年)に崩落した仙人岩の一部が、冠嶽神社に奉納されています。
神仙岩といい、歴史上仙人岩の崩落の記録はなく、貴重なものです。
冠岳花川砂防公園
冠嶽神社沿いを流れる花川に沿い、一帯は広大な敷地が公園として整備されています。
上流には砂防ダム、 下流は五反田川との合流点まで続きます。
冠岳花川砂防公園という、中国風の庭園です。
神社に中国庭園というのも、しっくりきません。
しかし、 ここは徐福伝説の冠嶽です。
そもそも、時代までは神仏習合の時代で、神道も中国の影響は少なからず受けてきました。
冠嶽神社の狛犬も、北京製です。
年代橋
花川の下流側から、公園内には10の橋がかかっています。
最下流にある、公園入口の木製アーチ橋・徐福橋が10代橋です。
続いての20代橋は、同じようなアーチ橋の、仙人橋です。
続く30代橋は、中国庭園の中にある昇龍橋です。
40代橋の蓮心橋、以下上流に向かって100代橋まであります。
望嶽亭
望嶽亭(ぼうがくてい)というのは、中国庭園のシンボル的建物です。
川の水面に、冠嶽が鏡のように写るように設計されています。
うまく撮れていませんが、向かいに見えるのが冠嶽の連山です。
蓮苑
蓮苑(はすえん)は、同じく中国庭園にある建造物です。
名前の通り蓮池のほとりにたたずみます。
冠嶽園
冠嶽園(かんがくえん)というのは、頂峰院という寺院の跡地に整備された中国庭園です。
やはり、徐福伝説にまつわるものです。
鎮国寺頂峰院大師堂
鎮国寺頂峰院というのは現役の寺院です。
本堂は西岳にあるのですが、冠嶽神社の川向いには大師堂があります。
もちろん真言宗の開祖、弘法大師さまをまつるお堂です。
坊主墓
坊主墓というのは、頂峰院の歴代僧侶のお墓です。
一部には、武家のお墓もあることがわかっています。
実は廃仏毀釈により、永い間無造作に積まれていた墓石を、平成時代に再現したものです。
夫婦岩
坊主墓からさらに花川をさかのぼると、夫婦岩に着きます。
大きな岩が仲良く寄り添っています。
立札には、夫婦岩の3つのご利益が書かれています。
- 縁結びの神
- 子宝の神
- 夫婦円満の神
不動尊洞
夫婦岩からさらに先へ進みます。不動尊洞は、仙人岩の西側の絶壁の中腹にある洞窟です。
不動明王像が安置されています。
たどり着くにはロッククライミングをするような、急斜面を登る必要があります。
虚空蔵洞
不動尊洞からさらに先へ進みます。
虚空蔵洞(こくうぞうどう)は、急な崖の上にある洞窟です。
中には、大山祇神(おおやまつみのかみ)がまつられる岩屋神社があります。
もともとは虚空菩薩像が安置されていたため、虚空蔵洞(こくうぞうどう)といいます。
急な階段を登って行くことになります。
砂防ダム
冠嶽神社の上流には、大小の砂防ダムがいくつか築かれています。
ただし、見慣れた砂防ダムとはちがいます。
表面は景観に配慮した、岩壁風になっています。
治水機能を果たすだけでなく、公園のアクセントになっています。
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