伝説の力石

伝説の力石 豊洲島津家の歴史を刻む浦の説教浄跡と仁王像

伝説の力石というのは、 鹿児島県薩摩川内市にある史跡です。

伝説の力石

かつて黒木郷を所領した、豊州島津家の歴史を感じることができます。

力石の伝説?

伝説の力石

伝説の力石は、なんと150kgもの重さがあるといいます。

黒木郷 伝説の力石

普通の人間ではとても抱え上げられそうにありません。

黒木郷 伝説の力石

肝心な伝説については、現地には説明がなくわかりませんでした。

説教浄跡(浦集会施設)入口

それにしても、このあたりには祠や石造物などが並んでいます。

説教浄跡(浦集会施設) 門柱

見るからに、歴史ある場所というのは理解できました。

説教浄跡(浦集会施設)の石造物群

浦集会施設

説教浄跡(浦集会施設) 入口

1955年 (昭和30年)までの黒木村は、現在は薩摩川内市祁答院町黒木になっています。

説教浄跡(浦集会施設)の石造物群

江戸時代まで豊州島津家が治めた、黒木郷のことです。

説教浄跡(浦集会施設) 門柱の刻字

豊州家はもともと帖佐にはじまりますが、 2代目からは日向飫肥へ移っています。

説教浄跡(浦集会施設) 昔の手水鉢

日向伊東氏の攻撃を受け、7代目からは帖佐・黒木へ戻り、島津宗家の要職を兼ねました。

説教浄跡(浦集会施設) 手水鉢

黒木の浦集会施設あたりには、かつて説教浄がありました。

浦集会施設

説教浄というのは、お寺の出張所のようなものです。

浦集会施設

円明院

浦集会施設 駐車場

円明院はもともと、鹿児島大乗院の末寺で、姶良市平松にある岩剱神社の別当寺でした。

浦の馬頭観音

しかも、当時から豊州島津家の祈願所です。

浦の馬頭観音

1634年に豊州島津家が黒木へ転領したのち、円明院も黒木へ移されています。

浦の馬頭観音の祠

浦の説教浄跡は、円明院のものと考えられます。

浦の伝説の力石

三浦の仁王像

浦の仁王像

というのも説教浄跡の仁王像に、円明院の文字が刻まれているためです。

浦の仁王像

ちなみに円明院本山の仁王像は、黒木小学校のとなりに残されています。

浦の仁王像の顔

区別するために、説教浄跡の仁王像は、浦の仁王像とよばれています。

浦の仁王像の顔

場所 鹿児島県薩摩川内市祁答院町黒木

伝説の力石の標柱

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