松原神社

松原神社 島津中興の祖・島津貴久公をまつる天文館の守護神

松原神社は、鹿児島市松原町にある神社です。

松原神社

鹿児島市の繁華街「天文館」の守護神となります。

由緒

松原神社 参道入口の石灯籠と狛犬

1567 年に島津貴久公が開山した、松原山南林寺が前身となります。

松原神社 社標柱

以後、島津家の菩薩寺と定められ、歴代藩主より手厚い保護を受けています。

松原神社 狛犬

ところが、南林寺は明治時代に入り、廃仏毀釈で廃寺となります。

松原神社 入口の門柱

跡地に建てられたのが、松原神社です。

松原神社 参道

社号は、南林寺の山号・松原山にちなみます。

松原神社 石灯籠

遺徳碑

松原神社 木村探元(きむらたんげん)遺徳碑

参道の遺徳碑は、薩摩藩の御用絵師であった木村探元(きむらたんげん)を顕彰するものです。

松原神社 木村探元(きむらたんげん)遺徳碑

鶴丸城の大襖絵や天井画は、探元の手がけたものです。

松原神社 手水

斉彬公の髪塚

松原神社 神橋

島津家第28第当主・島津斉彬(なりあきら)公は、江戸時代後期に集成館事業を起こした藩主です。

松原神社 斉彬公の髪塚

斉彬公自らの遺言により、遺髪は南林寺に納められました。

松原神社 斉彬公の髪塚

参道途中に、斉彬公髪塚が残されています。

松原神社 石碑

ご祭神

松原神社 鳥居

靖国崇勲彦命(くにむけいさたかひこのみこと)

松原神社 鳥居

島津貴久公のことです。

松原神社 鳥居の扁額

貴久公はもともと、分家である伊作島津家の出身です。

松原神社 社殿

当時、本宗家の影響力は、薩摩国内においても盤石なものではありませんでした。

松原神社 手水鉢

島津家第15代当主となった貴久公は、薩摩国の統一を果たします。

松原神社 社殿

さらには、戦国最強といわれた子供たち、島津四兄弟は、大隅国と日向国、つまり三州を統ーしています。

松原神社 社殿

つまり、島津氏が復権を果たし再び勢力が拡大するきっかけとなった領主です。

松原神社 社殿

そのため、後に島津中興の祖とよばれることになります。

松原神社 社殿

相殿神

松原神社 灯籠
  • 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  • 高御産巣日之神(たかみむすびのかみ)
  • 神産巣日之神(かみむすびのかみ)
  • 天照皇大神(あまてらすおおかみ)
  • 豊受大明神(とようけびめのかみ)
  • 平田純貞(ひらたすみただ)
松原神社 社殿

平田純真は貴久公の家臣であり、歯の神さま(はのかんさあ)として崇拝されています。

松原神社 社殿

ご利益

松原神社 本殿
  • 文化鎮護
  • 生活守護
  • 厄除け
  • 商売繁盛
松原神社 本殿

境内社

松原神社 裏参道

恵方社

松原神社 恵方社

恵方社は、その年の幸運の方角「恵方(えほう)」におられる歳徳神(としとくしん)を礼拝する神社です。

松原神社 恵方社

男性は絵馬掛けの外側を左回りに、女性は右回りに一周したあとお詣りします。

松原神社 恵方社の説明札

恵方社は年に一度向きが変わります。社の正面からお詣りすると恵方を向くことになります。

松原神社 恵方社の社殿

稲荷神社・厳島神社

松原神社 末社の稲荷神社と厳島神社

境内末社には、薩摩藩ゆかりの稲荷神社と、安芸国(広島県)宮島と同神の厳島神社がまつられます。

松原神社 末社の稲荷神社と厳島神社

稲荷神社は五穀豊穣・商売繁盛の神さま、厳島神社は交通安全・開運招福の神さまです。

松原神社 昔の手水鉢

市場神社

松原神社 市場神社

市場神社は、鹿児島中央卸売市場と魚類市場・青果市場の守護神です。

松原神社 市場神社の説明札

ご祭神は、稲荷大明神・住吉神・氷室神となります。

松原神社 市場神社

場所 鹿児島県鹿児島市松原町3-35

関連記事

【関連記事】鹿児島五社 薩摩城下の災いを防いだ鹿児島五社参り

【関連記事】照国神社 鹿児島県の総守護神・氏神さま

【関連記事】鹿児島地域の特産品 訪れる前におみやげをチェック

【関連記事】大隅国・薩摩国神名帳令和版 鹿児島県の神社一覧表