内大臣橋

内大臣橋 緑川にかかる森林鉄道に変わる国有林の重要インフラ

内大臣橋というのは、熊本県美里町と山都町の町境・緑川にかかる橋です。

山都町から見た内大臣橋の橋上

心霊スポットとウワサされ、県外からもマニアが訪れています。

スペック

内大臣橋 側面
長さ199.5m
25.5m
高さ86m
竣工1963年 (昭和38年)
内大臣橋

完成当初は、東洋一のアーチ橋とよばれていました。

内大臣橋 熊本営林局の銘板

それほど、熊本営林局が力を注いだ橋です。

内大臣橋 山都町側

しかし、そのコスト吸収のため、竣工当初は有料橋でした。

内大臣橋 山都町側

1980年 (昭和55年)に無料化されています。

ないだいじんばし 銘板

内大臣とは?

内大臣橋 山都町側

1185 年、壇ノ浦で源氏に敗れた平氏は、追っ手から逃れるため、九州の山奥などに逃れました。

内大臣橋 美里町から見た山都町

元々人が住んでいなかった、山深くに居を構えています。

美里町から見た内大臣橋橋上

内大臣の集落も、平家の落人が形成したものと考えられています。

美里町から見た内大臣橋橋上

平重盛は平清盛の後継ぎで、人々にとても慕われていましたが、 若くして亡くなっています。

内大臣橋 トイレ

最終官位は内大臣であり、小松に住んでいたため、小松内大臣などとよばれています。

山都町バス 内大臣橋バス停

内大臣川の奥地に鎮座する小松神社は、平重盛をまつったものであり、地名も同氏にまつわるものです。

内大臣橋 美里町側

内大臣森林鉄道

内大臣橋の説明看板

内大臣から先の国有林では、熊本営林局により官行造林が行われています。

内大臣橋の説明看板

1915年(大正4年)には、内大臣森林鉄道が敷設され、本格的な木材搬出が行われるようになりました。

内大臣橋 銘板

内大臣橋の竣工は、モータリゼーションが進み、木材運搬も鉄道からトラックへ変わる時代のことです。

内大臣橋 緑川の銘板

内大臣橋の竣工から4年後となる、1967年 (昭和42年)に内大臣森林鉄道は廃止されています。

内大臣橋 落書き厳禁の看板

森林軌道跡は、内大臣橋の直下・緑川左岸の断崖の中です。

内大臣林道

内大臣林道の本線は椎谷峠を越えて椎葉林道に至りますが、荒れてしまい現在は車での走破はムリになっています。

内大臣橋 美里町側

自殺の名所?

内大臣橋の上部工アーチ部

内大臣橋は、マニアの間で有名な心霊スポットです。

内大臣橋 たもとにあった帽子

その根拠は、飛び降り自殺が多かったためといわれています。

内大臣橋 石仏と石碑

右岸の岸壁にある石仏と石碑は、その自殺者を慰霊するために置かれたというウワサです。

内大臣橋 石仏

自殺を止めるためか、橋の色も試行錯誤されています。

内大臣橋 石碑
1963年 (昭和38年) ~1970年(昭和53年)白色
1970年 (昭和53年) ~ 1999年 (平成11年)赤色
1999年 (平成11年) ~2020年 (令和2年)薄い藤色
2020年 (令和2年) ~現在白色
内大臣橋の欄干

1999年 (平成11年)から2000 年 (平成12年) にかけての改良工事では、 欄干のかさ上げと転落防止策の設置が行われました。

内大臣橋の改良

この工事は、現在の規格に合わせるためとされています。

場所 熊本県上益城郡山都町目丸

内大臣橋 左岸・山都町側

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