九州のへそ基石

九州のへそ基石 九州の中心に建てられるモニュメントと時計台

九州のへそ基石というのは、熊本県山都町にあるランドマークです。

九州のへそ基石

まさに質量的な九州の中心地、つまりへそといえるスポットです。

へそとは?

馬見原公民館 九州のへそ基石

「九州のへそ基石」 でいうへそとは、九州の重心 (中心)という意味です。

九州のへそ基石

重心というのは質量の中心で、人間でいえばへそあたりになります。

九州のへそ基石 銘板

山都町は、旧蘇陽町時代から「九州のへそ」として売り出していました。

九州のへそ基石モニュメント

旧蘇陽町は、九州の東と西の分水嶺になっています。

九州のへそ基石モニュメント

東側に降った雨は、五ヶ瀬川を流れ太平洋へ注ぎます。

九州のへそ基石 ランドマーク

西側に降った雨は、緑川を流れ有明海へ注ぎます。

九州のへそ基石 ランドマーク

では南北はどうかというと、地理的には明らかに北寄りです。

しかし、北には長崎半島があり、南には錦江湾があります。

熊本県山都町 九州のへそ基石

南北での質量を考えると、なるほどへそです。

熊本県山都町 日向往還のモニュメント

馬見原

山都町バス 馬見原バス停

九州のへそ基石があるあたりを、馬見原(まみはら)といいます。

熊本県山都町 日向往還のモニュメント

肥後国(現在の熊本県) と日向国(現在の宮崎県)、さらには豊後国(現在の大分県)との交錯する日向往還沿いの町です。

九州産交バス 馬見原中鶴バス停

江戸時代から昭和初期にかけては、交通の要衝として物資や人が集まり発展しています。

九州産交バス 馬見原中鶴バス停

1889年(明治22年)、町村制施行のさい馬見原町は、阿蘇郡唯一の町でした。

馬見原ハ シャレタ町ナリ 観光案内看板

1956年 (昭和31年)に3町村が合併し、蘇陽町となっています。

馬見原追分の石碑

2005年 (平成17年)、さらに3町村合併で山都町になっています。

馬見原公民館の忠魂碑

本当にへそか?

九州地図をながめながら、本当に重心かと疑ってながめると違って見えます。

九州のへそ 九州地図

長崎半島が重そうなので、本当の重心はもう少し西よりになりそうです。

DAILY PORTAL Z 九州の中心は?

DAILY PORTAL Z -3Dプリンタで日本の重心を求める

唯一見つけた九州の重心を検証したサイトでは、 本当の重心は美里町という結果でした。

九州のヘソ時計台 交差点

ただし、「九州のへそ」は、イメージ的な重心なので、科学的な根拠はどうでもいいのです。

九州のヘソ時計台 交差点の道路案内標識

「九州のへそ」は、山都町により商標登録されています。

九州のへそ時計台

科学的な九州の重心がある自治体が後で名乗り出ても、いまさら手遅れです。

九州のヘソ山都町馬見原

まとめ

九州のへへそのおこり

九州のへその基石を見ると、経度と緯度までしっかり表示されています。

東経 130°45

北緯 31° 20

モニュメントをながめていると、もうここが 「九州のへそ」以外には見えなくなります。

マイナースポットかと思いSNSを見たら、時計台とともに意外と多くの投稿があります。

九州のヘソ時計台

さすがは交通の要衝です。

九州のへそ時計台モニュメントの石

場所 熊本県上益城郡山都町馬見原

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