鹿児島県大崎町の都萬神社は、日向国五社大明神の一社です。
現在も大崎町民の崇敬を集め、戦後途絶えていた神舞が 2010年 (平成22年)に復活しています。
大崎町一之宮
日向国五社大明神というのは、日向 (現在の宮崎県) 五郡 (臼杵・児湯・那珂・宮崎・諸県) に、それぞれ一社ずつ建てられた神社といわれています。
大崎町は現在は鹿児島県ですが、明治初期までは志布志市とともに、日向国諸県 (もろかた)郡でした。
都萬神社は、日向国五社大明神の一つであり、大崎町一之宮です。
都萬神社は、宮崎県西都市大字妻にある神社です。 日向国の総社であり、二の宮です。 西都市には大古墳群があることからも、以前は日向国の中心地であったと考えられています。 ご祭神・ご利益 […]
ご祭神
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
立述主命 (たちのべのみこと)
ご祭神の木花開耶姫命は、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の皇后であることから、つまの宮とされます。
宮崎県では、竹取物語のかぐや姫は、実は木花開耶姫命のことではないかといわれています。
立述主命 (たちのべのみこと)は、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと) と同神で、木花開耶姫命の長子です。
さらに2子として火須勢理命 (ほすせりのみこと)、 3子として火遠理命(ほおりのみこと)の3皇子を産んでいます。
都萬神社は、お乳の神さま、また安産の神さまとして知られています。
由緒
都萬神社は、志布志市有明町で創建しています。
創建年代は不明ですが、 858年に従四下位を授かっていますので、それ以前なのは確実です。
1540年、戦火で社殿が焼失したため、現在地へ遷座しています。
社宝に銅鏡や神楽面を有します。
1909年(明治42年) 大年神社・八幡神社・菅原神社を合祀。
1910年(明治43年)に白山神社を合祀しています。
現在も大崎町民の崇敬を集めていて、 初詣や秋の例祭での神舞には多くの人が訪れます。
境内社
五林大明神
山王宮(大山積命・おおやまつみのみこと)
稲荷大明神(豊受姫命・とようけひめのみこと)
伊勢宮(天照大神・あまてらすおおかみ)
大崎町慰霊塔
境内には、大崎町出身の戦没者の慰霊塔が建ちます。
周辺の記念碑を見ると、慰霊碑は幾度となく改修されています。
大崎町民を守るために戦ったご英霊を思う気持ちが伝わってきます。
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