仙酔峡ロープウェイというのは、かつて熊本県阿蘇市にあった索道路線です。
2010年(平成22年)の運休後、再開されることなく廃止されています。
仙酔峡(せんすいきょう)
仙酔峡というのは、阿蘇高岳の北側に位置する、ミヤマキリシマの名所です。
「その花の美しさに仙人も酔う」と名付けられた名勝です。
毎年5月上旬から中旬にかけ5万株のミヤマキリシマが見ごろを迎え、多くの人が集まります。
高岳と中岳の登山の拠点でもあり、普段も登山客でにぎわいます。
アクセス道路となる仙酔峡道路は、1964年(昭和39年)に供用を開始しています。
当初は有料道路でしたが、1995年(平成17年)に無料開放されています。
一方、中岳に西側からアクセスする阿蘇登山道路は、現在は阿蘇パノラマラインとなっています。
阿蘇登山道路が見通しを上回る通行量であったのに対し、仙酔峡道路の通行量は見通しを下回り続けました。
2006年(平成18年)の阿蘇山ロープウェイの年間旅客数が57万人強であるのに対して、仙酔峡ロープウェイは8万人強にとどまっています。
仙酔峡駅
仙酔峡インフォメーションセンターの手前にあったのが、仙酔峡駅です。
2022年(令和4年)に解体され、現在は更地です。
駐車場にとまるたくさんの車は、登山者のものです。
火口東駅
中岳山頂側の駅は、阿蘇山ロープウェイの山頂駅が火口西駅だったのに対し、火口東駅といっていました。
2022年(令和4年)、仙酔峡駅とともに解体され、現在は更地になっています。
火口東駅から火口東展望所までは、さらに15分程歩く必要がありました。
1964年(昭和39年)から1979年(昭和54年)までは、火口東駅と火口西駅の間で、マウントカーというバスが運行されていました。
火口東駅と火口西駅の間の道路は、もとよりマウントカー専用道路で、現在も一般車両が入ることはできません。
東阿蘇観光開発株式会社
仙酔峡ロープウェイを運営していたのは、第3セクターの東阿蘇観光開発株式会社です。
もともとは九州産業交通が運営していたのですが、1979年(昭和54年)から中岳火口の噴火により運休していました。
これを譲り受け1986年(昭和61年)に、旧一の宮町、九州産業交通、九州大和索道建設の3者が設立した法人です。
再開後は一定の集客を見せ、順調な経営を続けていました。
ただし、設備更新にあてるほどの留保はなく、借入金によりゴンドラやワイヤーロープを更新しています。
負債がふくらんだ中、2010年(平成22年)に、原因不明のモーターの不具合から運行を停止することになります。
もはや、これ以上の投資をする余裕はなく、取締役会は2011年(平成23年)に運営休止を決めています。
運営休止後
2012年(平成24年)からは、民営化に望みをかけ、阿蘇市が最低限の維持管理を行っていました。
ところが、2016年(平成28年)の熊本地震で被災したため、運行再開は絶望的となります。
2019年(令和元年)に、東阿蘇観光開発の清算とワイヤーロープの撤去が決まっています。
沿革
1964年(昭和39年) | 九州産業交通により仙酔峡ロープウェイ開通 |
1979年(昭和54年) | 阿蘇山中岳火口の噴火に伴い運休 |
1986年(昭和61年) | 運行再開を目的として、東阿蘇観光開発を設立 |
2003年(平成15年) | ゴンドラリニューアル |
2004年(平成16年) | 九州運輸局よりロープ磨耗の指摘を受け、改装のため運休 |
2005年(平成17年) | ワイヤーロープを交換し運行再開 |
2010年(平成22年) | モーター故障のため運休 |
2011年(平成23年) | 営業休止を決定 |
2019年(令和元年) | 東阿蘇観光開発の清算、施設撤去を決定 |
2022年(令和4年) | 駅舎解体 |
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