城泉寺と八勝寺 廃寺後も住民が残し続けた熊本県内最古の木造建築
城泉寺と八勝寺は、過去の歴史は異なりますが、すぐ近い場所にあります。どちらも中世の景観を現在に残し、寺は失っても阿弥陀如来像と阿弥陀堂を残している点で共通しています。そのため、日本遺産人吉球磨の構成文化財には一括して28番の登録となっています。
城泉寺と八勝寺は、過去の歴史は異なりますが、すぐ近い場所にあります。どちらも中世の景観を現在に残し、寺は失っても阿弥陀如来像と阿弥陀堂を残している点で共通しています。そのため、日本遺産人吉球磨の構成文化財には一括して28番の登録となっています。
王宮神社といえば、楼門(ろうもん)で知られています。楼門には守護神の仁王像が外敵の侵入を見守ります。王宮神社の楼門は1416年、上相良家第7代頼久(よりひさ)が建立したものといわれます。上相良家というのは多良木荘の相良家です。のちに下相良家に統一されています。
青蓮寺(しょうれんじ)は、鎌倉時代に下相良氏に先立って多良木荘に入った上相良氏の菩薩寺でした。当時の人吉球磨には2つの相良家があり、宗家は上相良氏でした。阿弥陀堂の裏には、上相良氏代々の墓があるといわれています。
深田大王神社は、相良氏が人吉球磨を統一する過程で滅ぼした、平河義高の長男、師高の霊を鎮めるために、相良氏が建立した神社です。のちに深田大王神社は、深田阿蘇神社と合祀されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財です。
岡留熊野座神社は、熊本県球磨郡あさぎり町の村社です。別名を「幸福神社」といいます。周辺には幸福スポットが集中しています。その本丸であり、起源となっているのが岡留熊野座神社です。近くに鉄道駅ができ、神社にちなんだ駅名がついたことから注目度が上がっています。
庚申塔というのは、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。庚申信仰とは中国の道教の教えです。庚申信仰が広がっていく過程で、神道や仏教などの信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行したということです。
江戸時代、五木村には東俣と西俣それぞれに阿蘇神社がありました。五木村の民衆との結びつきを重視する人吉藩主が代々参詣した神社といわれています。2004年(平成16年)、川辺川ダムにより水没予定の東俣、西俣、白木神社の3社を合祀のうえ、頭地代替地へ遷座しています。
日本三大急流のひとつ球磨川は、人吉市内こそ流れが緩やかですが、球磨村に入ると急流となります。物資輸送のための水運技術の伝統が、くま川下りに受け継がれたとして、球磨川自体が日本遺産人吉球磨の構成要素となっています。夏目友人帳の聖地でもあります。
三日原観音堂 沿いの曲り道は、アニメ「夏目友人帳」の中では、ニャンコ先生の大好物のまんじゅうを売っている七辻屋周辺の景色といわれています。相良三十三観音霊場の4番札所であり、日本遺産人吉球磨の「相良三十三観音廻り」のひとつとなります。
1247年、相良家第2代頼親が、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮を勧請して創建した神社です。相良家代々の武神として崇敬が篤く、たびたびの戦に際し戦勝祈願が行われたといいます。広大な敷地と日本庭園からも相良氏が大事にしていたことがうかがえます。
山田大王神社で特徴的なのは、その祭神です。「山田」というのはこのあたりの地名です。神社を建てたのは相良氏です。しかし、「大王」が意味するのは相良氏自身のことではありません。相良氏が滅ぼした、かつての「大王」平河氏を意味します。
人吉球磨地域で一番のメジャースポット「青井阿蘇神社」、日本最南端の国宝です。国宝となる前から大勢人が集まっていましたが、国宝となってからは神社周辺も整備され、さらに観光地らしくなってきました。名実ともに人吉市いちのパワースポットとなっています。