潮神社と賽神社 おっぱいの神と男の神
潮神社と賽神社は対外的にはマイナースポットです。ひそかな艦これ聖地でもあります。潮神社が女性の神様とするなら、賽神社は男性の神様といわれています。両方に参拝すると、夫婦円満、縁結びにご利益があるそうです。
潮神社と賽神社は対外的にはマイナースポットです。ひそかな艦これ聖地でもあります。潮神社が女性の神様とするなら、賽神社は男性の神様といわれています。両方に参拝すると、夫婦円満、縁結びにご利益があるそうです。
岡原霧島神社のあるあたりは、平成の大合併であさぎり町となる前は、岡原村というところでした。岡原村は明治時代に岡本村と宮原村が合併してできた村になります。岡原霧島神社は、2村の各地にあった神社を合祀のうえ遷座し、岡原霧島神社と改称されたものです。
馬場稲荷神社は、かつて八勝寺の鎮守天神の社地であったといわれています。案内板から、伏見稲荷神社のご祭神だけでなく、熊野三山と天神さんも祀られていることがわかります。手水は天然水で、地元の方は飲料用に使われているようです。
宝陀寺の観音さんは、像高180cmの巨像として知られています。地元ではこの巨像を京都から運んできたという、いい伝えが残っています。「腰の観音さん」「お産の観音さん」といわれご利益があるそうです。相良三十三観音霊場の27番札所となります。
城泉寺と八勝寺は、過去の歴史は異なりますが、すぐ近い場所にあります。どちらも中世の景観を現在に残し、寺は失っても阿弥陀如来像と阿弥陀堂を残している点で共通しています。そのため、日本遺産人吉球磨の構成文化財には一括して28番の登録となっています。
王宮神社といえば、楼門(ろうもん)で知られています。楼門には守護神の仁王像が外敵の侵入を見守ります。王宮神社の楼門は1416年、上相良家第7代頼久(よりひさ)が建立したものといわれます。上相良家というのは多良木荘の相良家です。のちに下相良家に統一されています。
青蓮寺(しょうれんじ)は、鎌倉時代に下相良氏に先立って多良木荘に入った上相良氏の菩薩寺でした。当時の人吉球磨には2つの相良家があり、宗家は上相良氏でした。阿弥陀堂の裏には、上相良氏代々の墓があるといわれています。
諏訪大社といえば、山の神様、狩猟の神様として有名です。山林の多い人吉球磨地域にも諏訪神社は多いのかと思いきや、この地域に諏訪神社はあまり歓請されておらず、非常に珍しいと思われます。鳥居の額束も横幅が広く、珍しい横書きです。
深田大王神社は、相良氏が人吉球磨を統一する過程で滅ぼした、平河義高の長男、師高の霊を鎮めるために、相良氏が建立した神社です。のちに深田大王神社は、深田阿蘇神社と合祀されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財です。
岡留熊野座神社は、熊本県球磨郡あさぎり町の村社です。別名を「幸福神社」といいます。周辺には幸福スポットが集中しています。その本丸であり、起源となっているのが岡留熊野座神社です。近くに鉄道駅ができ、神社にちなんだ駅名がついたことから注目度が上がっています。
庚申塔というのは、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。庚申信仰とは中国の道教の教えです。庚申信仰が広がっていく過程で、神道や仏教などの信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行したということです。
江戸時代、五木村には東俣と西俣それぞれに阿蘇神社がありました。五木村の民衆との結びつきを重視する人吉藩主が代々参詣した神社といわれています。2004年(平成16年)、川辺川ダムにより水没予定の東俣、西俣、白木神社の3社を合祀のうえ、頭地代替地へ遷座しています。