井沢熊野座神社 権現さんは人吉球磨地域最古の社殿
熊本県の球磨川と川辺川の合流点、球磨川第四橋梁の少し上流に井沢熊野座神社が鎮座します。地元の人は「権現(ごんげん)さん」と呼び親しんでいます。井沢熊野座神社は別名、「井沢権現社」ともいいます。1542年に再建された中央殿は、神社社殿としては人吉球磨地域で最古の建物です。
熊本県の球磨川と川辺川の合流点、球磨川第四橋梁の少し上流に井沢熊野座神社が鎮座します。地元の人は「権現(ごんげん)さん」と呼び親しんでいます。井沢熊野座神社は別名、「井沢権現社」ともいいます。1542年に再建された中央殿は、神社社殿としては人吉球磨地域で最古の建物です。
市房山神宮は市房山をご神体として、山中の本宮、山麓の中宮(一宮神社)、湯前町の下宮(里宮神社)の三社で構成されています。一宮神宮は市房山神宮の中宮という位置づけになります。「お嶽さん参り」のコースのひとつで、市房山神宮を目指す藩主や領民の、唯一の休憩場所として利用されていました。
人吉球磨の最高峰が市房山になります。古来から人吉球磨の人々は市房山を信仰の対象としてきました。市房山のことを「お嶽さん」と呼び親しんでいました。市房山神宮が建立されたのは平安時代にさかのぼります。 市房山の中腹に社殿が建立されたのは807年のことでした。
神瀬住吉神社は、航海や交通安全の神として、球磨川を行き来する藩主や船頭たちの信仰を集めた神社です。道路や橋が整備されていない時代は、荷物は球磨川を利用し舟で運び、対岸には船で渡っていました。灯台型の灯篭がこの表れであるといいます。
里の城大橋(さとのじょうおおはし)は、全長186mの球磨川にかかる橋です。多良木駅周辺の公共施設整備事業と合わせて計画・建設されました。多良木駅周辺には公共の観光施設が整備されています。
鎌倉時代、荒田大王神社のある錦町木上地区は平河氏の本拠地でした。平河氏は人吉の地頭として入国した相良氏に「血敷原の戦い」で敗れました。相良長頼は、平河氏の怨霊を鎮めるため、荒田大王神社を造りました。平河氏の遺徳を偲ぶ領民からは、「大王さん」とよばれ祀られたといいます。
一武八幡宮(いちぶはちまんぐう)は、熊本県錦町にある神社です。旧一武村の村社であり、昔から厄除け・開運の神さまとして知られています。近年参拝者が増えたのは、夏目友人帳の聖地のひとつとされたためです。
人吉城は、相良氏が35代670年にわたり居城したお城です。別名、繊月城とも三日月城ともよばれます。武者返しと呼ばれる、城壁越えを阻止するための独特な平らな石が特徴です。建物は廃藩置県による廃城後に焼失しました。
日本遺産人吉球磨の構成文化財をところどころ紹介しています。単発スポットの記事で全体像をつかみにくいのでまとめておきます。本当のストーリーは公式サイトでご確認ください。
山上八幡神社は「やまのうえはちまんじんじゃ」と読みます。相良義陽が戦国時代に滅ぼした上村氏を供養するために、安土桃山時代に建立された神社です。中世の木造建築として価値が評価され、日本遺産人吉球磨の21番構成文化財となっています。
あさぎり駅はくま川鉄道湯前線の駅です。見どころは、ポッポー館とタブレットですね。8月はビアガーデン、11月下旬から年末まではイルミネーションで駅周辺一帯ライトアップされています。くま鉄祭り、 ほおずき市、球磨焼酎女子会や銘酒祭りなど、年間通じてイベントが開催されています。
白髪神社は古くから安産または雨乞いの神様として知られていました。代々の相良家の女性がご懐胎の際には、安産祈願に参詣していました。干ばつの節は藩令をもって 雨乞い祈願がなされていました。 参道の道向かいが、麓馬場通りとなります。