谷山神社は、鹿児島市下福元町にある神社です。
境内となるあたりは、南北朝時代(1336~1392)に南朝の征西府が置かれていました。
ご祭神
懐良親王(かねよししんのう)
後醍醐天皇の第九皇子で、南朝の征西将軍に任命されています。
懐良親王は、谷山城近くの御所ヶ原で6年間過ごしています。
なお、御所ヶ原があったのは、現在の市営南部斎場です。
谷山神社は、建武の中興にかかわる神社ということになります。
建武の中興とは?
1333年、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、天皇親政が復活したこと
日本の統治を、武家中心社会から天皇中心社会へ戻そうとした動き
ただし、足利尊氏の離反で後醍醐天皇は吉野へ移り、南北朝時代へ突入することになる
明治維新では、江戸幕府から明治政府へ政権が戻ったため、建武の中興になぞらえられる
由緒
谷山は、南朝の九州統一の出発地であり、建武の新政ゆかりの地です。
1928年(昭和3年)建武中興15社の創祀を受けて、征西将軍・懐良親王をまつる神社を建てたものです。
建武中興15社
明治時代に、建武の中興に関わった皇族や武将をまつる神社が、全国に建てられたています。
このうちの15社を建武中興社といいます。
うち九州にも2社が鎮座します。
社名 | ご祭神 | 場所 |
菊池神社 | 菊池氏 | 菊池市 |
八代宮 | 懐良親王 | 八代市 |
この時代、2つの朝廷は日本各地の豪族をまきこみ対立します。
南朝は、肥後国の菊池氏と阿蘇氏の協力を取り付けています。
このあと隈府城(菊池城)に拠点を移し、大宰府攻略にあたることになります。
千々輪神社
拝殿向かって右前の社殿は、摂社の千々輪神社のものです。
ご祭神は時の谷山城主・谷山五郎隆信です。
肝付氏、川辺氏、飯島氏らとともに南朝に協力した武将の一人です。
北朝方につく島津氏と対峙することになります。
慈眼寺公園
谷山城の麓には、薩摩の名寺・慈眼寺がありました。
廃仏毀釈とともに廃寺となったあと、現在は慈眼寺公園に生まれ変わっています。
谷山神社も、慈眼寺公園の一部になります。
慈眼寺公園駐駐車場からは、長い石段を登ることになります。
社殿前に駐車場がありますので、車で行く方のほうが多いです。
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