徳重神社は、鹿児島県日置市伊集院町にある神社です。

「妙円寺詣り」のさいには、大勢の人が集まることで知られます。
ご祭神

精子厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)

「鬼島津」の異名で全国に知れ渡る、戦国武将、島津義弘公のことです。

武運の神さまです。

ご神体は、義弘公の木像となっています。

島津義弘公

義弘公は、20歳での初陣以降、66歳で参戦した関ヶ原の戦いまで、大小 50 数回に及ぶ戦に参加しています。

木崎原の戦いでは、日向国伊東氏の大軍を破るなど武勲を挙げ、島津氏の勢力拡大に貢献しています。

また、豊臣政権下では文禄・慶長の役の武勲も知られるところです。

戦国時代の名将で、晩年は帰郷し後任の教育に当たりました。

享年83歳で死去した際には、義弘公の後を追い13名の家臣が殉死しています。

徳重神社には、13名の家臣の地蔵塔があります。

最寄りの伊集院駅の前には、馬に乗った義弘公の銅像が建てられています。

鹿児島では今なお語り続けられる、伝説の戦国武将です。

妙円寺詣り

社地はかつての妙円寺跡地です。

妙円寺は義弘公の菩薩寺であり、死後は義弘公の木像が置かれました。

木像は生きている義弘公と同様に扱われています。

そのうち、関ヶ原の戦いの前日、旧暦9月14日に鹿児島城下の武士たちが、妙円寺に参詣するようになりました。

これが恒例行事となり、現在まで続いているものです。

現在の妙円寺詣りは、毎年 10月の第4土日曜日に開催されています。

8万人もの人が参加する、鹿児島の大イベントになっています。
徳重神社の創建

明治時代に入り、廃仏毀釈により妙円寺は廃寺となります。

跡地には義弘公の木像をご神体として、徳重神社が創建されました。

それ以降、妙円寺詣りは、徳重神社を目指す行事となっています。

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