臼内切(うすねぎり) 千人塚

臼内切(千人塚) 地元の人も行くのをはばかるキリシタン伝説の地

臼内切(うすねぎり)というのは、熊本県南小国町の地名です。

臼内切(うすねぎり)

幕末にキリシタンを打ち首の刑に処したと伝わる場所です。

隠れキリシタンの里

臼内切(うすねぎり) 登り口

臼内切というのは、室町時代からある地名です。

臼内切(うすねぎり) 案内標柱

阿蘇の山奥ですが、以前から数軒の集落はあったと考えられています。

臼内切(うすねぎり) 登り口

江戸時代になると、幕府の禁教令のもとで、キリスト教信者が身を寄せるようになります。

臼内切(うすねぎり)へと続く道路

いつしか隠れキリシタンの集落となっています。

臼内切(うすねぎり)の丘

他の集落とはつきあいもせず、ひっそりと暮らしていたのですが、それが幕末に肥後藩に発覚しています。

臼内切(うすねぎり)の風景

キリシタン弾圧

臼内切(うすねぎり)の丘

1853年、肥後細川藩は、臼内切の隠れキリシタンの処刑を決めます。

臼内切(うすねぎり)の丘に生える木

「キリシタンを処刑するので見に来るように」と小国中にお触れを出しています。

臼内切(うすねぎり)の丘に生える木

キリスト教を信仰すると同じ道をたどることを知らしめるためでした。

臼内切(うすねぎり)への道

臼内切の丘に自分で穴を掘らせ、斬殺したあとその穴に蹴り落としました。

臼内切(うすねぎり)の丘近くの標柱

女も子供も関係ありません。その日のうちに 12 家族約60人を斬殺しています。

臼内切(うすねぎり)の丘 入口

あまりの光景に、それから臼内切に近づくものはいなくなったといいます。

臼内切(うすねぎり)の丘 入口

千人塚

臼内切(うすねぎり) 千人塚

臼内切の丘をよく見ると、塚が盛られています。

臼内切(うすねぎり) 千人塚

草原になっていて塚が見えにくいため、誤って踏みつけないように注意が必要です。

臼内切(うすねぎり) 千人塚

草が伸びた夏場は特に見分けにくいので、むやみに入らないほうがよいでしょう。

臼内切(うすねぎり) 千人塚

塚の数は 12、斬殺されたキリシタンの家族と同じ数です。

臼内切(うすねぎり) 千人塚

別名、千人塚とよばれています。

臼内切(うすねぎり) 千人塚

地元の人も近づかないヤバイ場所

臼内切(うすねぎり)の丘

臼内切の丘(千人塚)は、日が暮れると地元の人は近づかないといわれる場所です。

臼内切(うすねぎり)の丘からの景色

夜、肝試しに訪れたものが体調を崩し、長期間高熱にうなされています。

臼内切(うすねぎり) 南小国町教育委員会の説明板

布団で寝ていると耳鳴りがしだし、布団の上に何かが乗っているような重みを感じたといいます。

臼内切(うすねぎり) 南小国町教育委員会の説明板

昼間でもどこからともなく声が聞こえたり、人の気配を感じたりするといわれます。

臼内切(うすねぎり) 南小国町教育委員会の説明板

道中で地元の人に道をたずねると、すごい剣幕で引き返すように促されるそうです。

臼内切(うすねぎり)の丘からの景色

遊び半分で行くところではないヤバイ場所である裏付けです。

臼内切(うすねぎり)の丘からの帰り道

場所 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺

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