夜泣橋というのは、宮崎市佐土原町にある橋です。
文字通り赤ん坊の泣き声に由来していて、たもとには子育て地蔵がまつられています。
赤ん坊の泣き声がする橋
全国的な肌催に見舞われ、餓死する人も多い時代がありました。
母親は栄養失調になり、母乳も出なくなりました。
口減らしのため赤ん坊を橋の上から落としていたと伝わります。
それが何人も続くうち、深夜になると赤ん坊の泣き声が聞こえるようになったといいます。
それ以来、橋を夜泣橋といい、祠を建てて子育て地蔵を祀ってあるというのが一説です。
夜泣きを止める橋
赤ん坊の夜泣きが止まない母親が、木製の橋の木くずを持ち帰りました。
一部を煎じて赤ん坊に飲ませ、残りの木くずに火をつけて赤ん坊の周りを、輪を書くように回しました。
すると、今まで火がついたように泣いていた赤ん坊が、ぐっすりと寝入ったのだそうです。
「木の橋がわが身を削って燃え尽き、夜泣きを直してくれた」
という話が人づてに広まり、多くの父親や母親が、橋へ通うようになりました。
ある時、この話を聞きつけた双子の母親が、夜中にこっそりと1人の赤ん坊を置いて帰りました。
当時は、生活が貧しく双子を抱えての生活ができなかったのだといいます。
置き去りにされた子供は、夜通し激しく泣き続けたそうです。
とても心配した村の人々は、夜が明けると木の橋に行ってみました。
しかし、そこには泣いていた赤ん坊はいませんでした。
「星の世界に登ったのだろうか。それとも、心優しい人が育てるために帰ったのだろうか」
人々はそう噂しあったそうですが、真相はわからないそうです。
それ以来、この木の橋を夜泣橋とよぶようになったという説も伝わります。
子育て地蔵
現在残るコンクリート製の夜泣き橋は、1997年(平成9年)にかけ替えられています。
この時、子育て地蔵の祠も建て替えられています。
いずれにしても、子育て地蔵には子供たちが元気に育つように願いが込められています。
まとめ
大昔のことであり、真相は闇の中なのですが、いずれの説も赤ん坊の夜泣きに関係しています。
夜泣橋があるのは、昔は佐土原から宮崎に通じ、たくさんの人々が往来していた通りです。
しかし、夜になると周囲には灯り一つなくとてもさびいしい場所だったそうです。
現在も、昼間は車の往来が激しいのですが、夜になるとひっそりします。
今でも赤ん坊の泣き声が聞こえることがあるとささやかれますが、真偽は不明です。
夜泣き橋と子育て地蔵がある限り、夜泣き橋伝説は語り継がれていくことでしょう。
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