滄浪小学校 川内川に流れる水のように清く正しく生きる
滄浪(そうろう)小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市にあった公立小学校です。校名の滄浪というのは、川内川を中国の河川「滄浪」に見立ててつけられています。校区の地名を冠するのが一般的な公立小学校ではレアケースです。しかし、地元の方はその深い意味を理解していたからこそ使い続けていました。
滄浪(そうろう)小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市にあった公立小学校です。校名の滄浪というのは、川内川を中国の河川「滄浪」に見立ててつけられています。校区の地名を冠するのが一般的な公立小学校ではレアケースです。しかし、地元の方はその深い意味を理解していたからこそ使い続けていました。
平松神社は、鹿児島市吉野町にある神社です。社地は心岳寺という寺院の跡になります。心岳寺は、島津歳久公の菩薩寺として、兄の島津義久公が建てたものです。以降、島津歳久公の命日、旧暦の7月18日とその前日には多くの拝観者が訪れることになります。これを、心岳寺参りといいます。心岳寺は廃寺となったのち平松神社となりましたが、心岳寺参りは続いていました。
協和中学校は、かつて鹿児島県垂水市にあった公立中学校です。2010年(平成22年)に、垂水中央中学校へ統合し閉校となっています。垂水市の協和地区というのは、明治以前の中俣村と海潟(かいがた)村のことになります。住所表記には協和という地名は使われませんが、明治時代から、両方を合わせて協和地区とよぶのが定着していました。
照島神社は、鹿児島県いちき串木野市の照島にある神社です。歴史的な逸話の多い島で、景観地でもあるため、ちょっとした観光地になっています。さらに、物産館「照島海の駅」と「海の家食堂」でまぐろの町いちき串木野市を堪能することができます。照島は、日本三大砂丘、吹上浜の最北端にある島です。
北俣小学校は、かつて宮崎県東諸県郡国富町にあった公立小学校です。2009年(平成21年)に、国富町立八代小学校へ深年小学校とともに統合し閉校しています。国富町は江戸時代には3藩が治めた異色の歴史があります。北俣小学校のあった旧八代村は、薩摩藩の高岡外城でした。北俣小学校は、旧八代村域の一村一校として創立した八代小学校から、分割独立した学校でした。
牛根麓稲荷神社は、鹿児島県垂水市にある神社です。桜島の大正噴火により埋没した鳥居が現在も残っています。埋没鳥居といえば、桜島島内にある腹五社神社の黒神埋没鳥居が有名です。しかし、桜島島外にある牛根麓稲荷神社の埋没鳥居も忘れてはなりません。
陽成(ようぜい)小学校は、かつて薩摩川内市陽成町にあった公立小学校です。シンボルツリーはセンダンの木になります。陽成小学校の校区は薩摩藩時代、高城郷(たきごう)麦之裏村といっていました。1889年(明治22年)の町村制施行時に、高城郷の区域がそのまま高城村になっています。高城村役場が置かれたのが麦之尾でした。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)は、鹿児島県霧島市にある大隅国の総社です。江戸時代までは、守公神社(しゅこうじんじゃ)とよばれていました。名称からも、大和朝廷が国府を置いたのち、総社として国分のそばに創建されたことがわかります。明治時代に祓戸神社となったのは、祓戸四神をまつるためですが、他にも多くの社を統合したと考えられます。
東郷小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市東郷町にあった公立小学校です。2019年(平成 31 年)に、薩摩川内市立東郷学園義務教育学校へ移行しています。東郷小学校は、元サッカー日本代表の前園真聖選手の母校になります。東郷小学校時代から県大会で活躍していました。のちにアトランタオリンピックの「マイアミの奇跡」で世界に知られることになります。
宮崎市から都井岬までの、太平洋沿いの道を通称、日南フェニックスロードといいます。名前通り、日南海岸沿いを走るドライブコースです。宮崎市を出発し日南市までで終わりではありません、その先も都井岬まで続いています。日南市南郷町以南の串間市区間を「しあわせ448ハッピーロード」といいます。
大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。その結果、大隅半島の大部分が鉄道空白地帯へ戻っています。2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。
広沢ダムは、宮崎県東諸県郡綾町にある農業用ダムです。大淀川左岸地区の農地にかんがい用水を送っています。ダム湖は水上スキー場になっています。満水になると本体の上部にある洪水吐から、自然越流するようになっています。洪水吐はダムの横幅いっぱいに広がり、堤体を水が流れ、涼しげで美しい姿をみることができます。