大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。
![国鉄大隅線 東串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。
- 1 現在の駅跡
- 1.1 志布志駅(しぶしえき)
- 1.2 菱田駅(ひしだえき)
- 1.3 大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)
- 1.4 三文字駅(さんもんじえき)
- 1.5 東串良駅(ひがしくしらえき)
- 1.6 串良駅(くしらえき)
- 1.7 下小原駅(しもおばるえき)
- 1.8 大隅高山駅(おおすみこうやまえき)
- 1.9 論地駅(ろんじえき)
- 1.10 吾平駅(あいらえき)
- 1.11 永野田駅(ながのだえき)
- 1.12 大隅川西駅(おおすみかわにしえき)
- 1.13 鹿屋駅(かのやえき)
- 1.14 大隅野里駅(おおすみのざとえき)
- 1.15 大隅高須駅(おおすみたかすえき)
- 1.16 荒平駅(あらひらえき)
- 1.17 古江駅(ふるええき)
- 1.18 新城駅(しんじょうえき)
- 1.19 諏訪駅(すわえき)
- 1.20 柊原駅(くぬぎばるえき)
- 1.21 浜平駅(はまひらえき)
- 1.22 垂水駅(たるみずえき)
- 1.23 海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)
- 1.24 大隅麓駅(おおすみふもとえき)
- 1.25 大隅辺田駅(おおすみへたえき)
- 1.26 大隅二川駅(おおすみふたがわえき)
- 1.27 大隅境駅(おおすみさかいえき)
- 1.28 大廻駅(おおめぐりえき)
- 1.29 大隅福山駅(おおすみふくやまえき)
- 1.30 敷根駅(しきねえき)
- 1.31 銅田駅(どうたえき)
- 1.32 金剛寺駅(こんごうじえき)
- 1.33 国分駅(こくぶえき)
- 2 沿革
- 3 関連記事
現在の駅跡
2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。
![国鉄大隅線 串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線は33駅と駅数が多いので、記事も長くなります。
![国鉄大隅線跡のトンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
目的の駅をさがすときは、目次をご活用ください。
志布志駅(しぶしえき)
志布志駅は、大隅線の起点駅です。
大隅線、志布志線、日南線の3路線が乗り入れていた、一大ターミナル駅でした。
![JR九州 日南線 志布志駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在は、日南線の終点駅となり、コンパクトな駅に生まれ変わっています。
国分から #大隅線 に乗り志布志で下車。この後 #志布志線 で都城に向かいました。
— 非電化計画 (@DML61ZR) December 6, 2018
滅多に駅や構造物は撮らなかったのですが、ローカル線廃止反対のスローガンが気になったのかもしれません。
残ったのは、この時乗れなかった #日南線 だけになりました。
朱色の気動車はキハ45系に見えます
1982年3月 pic.twitter.com/Rpls8y1IZ6
菱田駅(ひしだえき)
![国鉄大隅線 菱田駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 菱田駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1970年代の菱田駅周辺の航空写真では、駅舎があったのがわかります。
![国鉄大隅線 菱田駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
こちらのお宅の庭あたりに、木造駅舎がありました。
![国鉄大隅線 菱田駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
航空写真で見ると、写真中央の道路と右側の草むらも駅の設備でしょう。
![国鉄大隅線 菱田駅 志布志駅方向](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そして大隅線跡、志布志駅方向です。
![国鉄大隅線 菱田駅 大隅大崎駅方向](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
同じく大隅線跡、大隅大崎方面です。
菱田駅
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
ここは昔は相対式ホーム2面2線だったようで、貨物取扱ホームもあるなど比較的大きな駅だったことがわかります。
1枚目:志布志方を向いて
2枚目:国分・鹿屋方を向いて#大隅線 pic.twitter.com/N6sU3DuX68
大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)
![国鉄大隅線 大隅大崎駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 大隅大崎駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅大崎駅は大崎中学校の南側にありました。
![国鉄大隅線大隅大崎駅跡の学校給食センター](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡には、学校給食センターが建っています。
![国鉄大隅線 大隅大崎駅 農協果実センター](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅の東側にあった大きな建物は、農協の果実センターです。
![国鉄大隅線 大隅大崎駅 プラットホーム跡の一部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
農協の敷地内にホーム跡の一部が残っています。
三文字駅(さんもんじえき)
![国鉄大隅線 三文字駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 三文字駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
一線の駅で列車の交換はできませんが、駅舎がありました。
![国鉄大隅線 三文字駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在、駅跡は駐車場になっていて、鉄道遺構は見あたりませんでした。
![国鉄大隅線 三文字駅裏のできた「だいわ」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅裏の農地に建った大きな建物はスーパー「だいわ」です。
![国鉄大隅線 三文字駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線跡の道路、直進すると大隅大崎駅です。
![国鉄大隅線 三文字駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
反対方向、東串良駅方向です。
![国鉄大隅線 三文字駅跡 2023かごしま国体 大崎町実行委員会の横断幕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
東串良駅(ひがしくしらえき)
![国鉄大隅線 東串良駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 東串良駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
東串良駅は、1970年代まで貨物を取り扱っていました。
![国鉄大隅線 東串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡一帯は、公園になっています。
![国鉄大隅線 東串良駅跡の動輪と線路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
2010年代まで、公園には車掌車・ヨ8959が置かれていました。
![国鉄大隅線 東串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在は撤去され、レールと動輪だけが残っています。
![国鉄大隅線 東串良駅前の石倉](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅前の石倉も、駅前感があります。
![国鉄大隅線 東串良駅跡の駅前通り](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、駅前通りを一歩入ると廃駅感があります。
串良駅(くしらえき)
![国鉄大隅線 串良駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 串良駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
串良駅は東串良駅と600mしかはなれていません、日本一駅間距離が短い駅でした。
![国鉄大隅線 串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡は鉄道記念公園となり、プラットホームや踏切、気動車が展示されていました。
![国鉄大隅線 串良駅跡の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、現在は大隅線のあゆみを書いた記念碑だけが鉄道遺構です。
![国鉄大隅線 串良駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
周囲の景色を見ると、駅の雰囲気は残されています。
古い写真から。旧大隅線串良駅跡。廃線後、駅跡は鉄道記念公園となり、活躍していた車両も保存展示された。色がアレだけど(汗)。しかし、今となってはその痕跡は全く無い。せっかく綺麗に整備したのに、もったいないなぁ。 pic.twitter.com/L7yquuKMPT
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) May 20, 2015
下小原駅(しもおばるえき)
![国鉄大隅線 下小原駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 下小原駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
下小原駅も廃駅後、公園化されていて、駅跡はみつけやすいです。
![国鉄大隅線 下小原駅駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
きれいに維持された公園です。
![国鉄大隅線 下小原駅跡の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
動輪と記念碑が置かれています。
![国鉄大隅線 下小原駅跡の動輪](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅高山駅(おおすみこうやまえき)
大隅高山駅は、当時の駅舎を残し高山鉄道記念公園となっています。
![国鉄大隅線 大隅高山駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
保存状態も良いので、往時の大隅線を感じることができます。
論地駅(ろんじえき)
![国鉄大隅線 論地駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 論地駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
論地駅は、田んぼの中にポツンとあった駅です。
![国鉄大隅線 論地駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線は田んぼの中の築堤で、現在は農道になっています。
![国鉄大隅線 論地駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡はそのまま残っていて、空き地になっています。
![国鉄大隅線 論地駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
吾平駅(あいらえき)
吾平駅跡は鉄道記念公園になっていて、線路跡とプラットホームそして気動車と車掌車が残されています。
![国鉄大隅線 吾平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
となりに吾平鉄道記念館があって、鉄道遺構を展示していましたが、現在は閉館しました。
展示品は、鹿屋市鉄道記念館に移されています。
永野田駅(ながのだえき)
![国鉄大隅線 永野田駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 永野田駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
永野田駅は、鹿屋市の自転車歩行者専用道「フィットネスパース」の起点になっています。
![国鉄大隅線 永野田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
アスファルトの道が大隅線跡で、芝生の公園が永野田駅跡です。
![国鉄大隅線 永野田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
以前は公園の入口に、木製の駅名標が残されていたのですが、現在は撤去されています。
![国鉄大隅線 永野田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのため、駅跡とわかるものは何も残っていません。
大隅川西駅(おおすみかわにしえき)
![国鉄大隅線 大隅川西駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 大隅川西駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鹿屋市に入ると、大隅線跡はフィットネスパースになっているため辿りやすくなります。
![国鉄大隅線 大隅川西駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それでも大隅川西駅には駅跡らしいものはないので、特定しにくいです。
![国鉄大隅線 大隅川西駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
航空写真で見た感じ、交差点の先の右側がプラットホームだったようです。
![国鉄大隅線 大隅川西駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
単線のホームと待合所だけの駅なら、このくらいの広さだったのでしょう。
鹿屋駅(かのやえき)
![国鉄大隅線 鹿屋駅の運賃表](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鹿屋駅は、大隅半島第一位の人口を抱える鹿屋市の中心駅でした。
![国鉄大隅線 鹿屋市鉄道記念館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線の廃線により、鉄道空白地帯となってしまいました。
駅跡は大半が市役所となりましたが、一角に鹿屋市鉄道記念館が設けられています。
九州のローカル線の思い出 🚞 大隅線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) January 6, 2021
鹿屋から後続の列車に乗り込み、さらに大隅線を進んで終着駅の国分まで出ました🚃
国分駅は0番線に大隅線が発着していました🏡#大隅線 #ローカル線 #廃線 #キハ20 #鉄道写真 #鉄道風景 pic.twitter.com/m8f0kVfDZK
九州のローカル線の思い出 🚞 大隅線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) January 6, 2021
このところの寒さと北国の豪雪…⛄
せめて南九州の南国風景をと思ったのですが、この時の旅は天候が優れず鹿屋は雨でした☔#大隅線 #快速佐多 #ローカル線 #廃線 #キハ58 #鉄道写真 #鉄道風景 pic.twitter.com/fiC1CzKrZ0
大隅野里駅(おおすみのざとえき)
![国鉄大隅線 大隅野里駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 大隅野里駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅野里駅は、営業時の駅舎が残される貴重な駅です。
![国鉄大隅線 大隅野里駅駅舎](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅舎は、フィットネスパースの休憩所になっています。
![国鉄大隅線 大隅線路線図
大隅野里駅の歴史](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
海軍の鹿屋飛行場のそばにある駅で、米軍の空襲で駅舎が壊されています。
![国鉄大隅線 大隅野里駅 駅舎内](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鉄筋コンクリートの駅舎は、戦後建てられたものです。
大隅高須駅(おおすみたかすえき)
![国鉄大隅線 大隅高須駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 大隅高須駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅高須駅は、大隅線のなかでは鹿屋駅とならび、最も早くできた駅です。
![国鉄大隅線 大隅高須駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅舎があった場所には、公民館が建てられています。
![国鉄大隅線 大隅高須駅跡之碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡の碑があるのは、公民館の玄関の横です。
![国鉄大隅線 大隅高須駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒平駅(あらひらえき)
![国鉄大隅線 荒平駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 荒平駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒平駅前の島は天神島といって、荒平天神が鎮座しています。
![国鉄大隅線 荒平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
廃駅後も待合所が、荒平天神参拝の休憩所として残されていました。
![国鉄大隅線 荒平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
2013年(平成25年)に、待合所は解体され新しく休憩所ができています。
![国鉄大隅線 荒平駅 営業復活記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
営業復活記念碑は、戦時中休止したのち、1947年(昭和22年)に復活した際、建てられたものです。
![国鉄大隅線 荒平駅 荒平天神](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鹿児島県鹿屋市立菅原小学校 ユクサおおすみ海の学校としてリスタート
古江駅(ふるええき)
![国鉄大隅線 古江駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線で、営業時の駅舎が残っているのは3駅あります。
- 大隅高山駅
- 大隅野里駅
- 古江駅
なかでも木造なのは唯一古江駅だけなので、とても貴重な駅です。
新城駅(しんじょうえき)
![国鉄大隅線 新城駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 新城駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
新城駅跡は、構内がそのまま公園になっています。
![国鉄大隅線 新城駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
短くはなっていますが、当時の線路とプラットホームが残っています。
![国鉄大隅線 新城駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鉄道遺構も含めて、主な用途はグランドゴルフです。
![国鉄大隅線 新城駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ホーム上の駅名標は、大隅線現役時のものではなくコンクリート製で、プレハブ倉庫の支柱として役立っています。
![国鉄大隅線 新城駅跡 プラットホームの文字「1959-12」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ホーム側面の「1959-12」の文字から、プラットホームが1959年(昭和34年)製なのがわかります。
![国鉄大隅線 新城駅跡の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
新城駅の営業開始はその1年5ヵ月後、1961年(昭和36年)4月です。
諏訪駅(すわえき)
![国鉄大隅線 諏訪駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 諏訪駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
諏訪駅跡には鉄道遺構は何もありません。
![国鉄大隅線 諏訪駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
道路の形から駅跡だったことはハッキリわかります。
![国鉄大隅線 諏訪駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
開業時からホーム上に待合所だけがあった駅なので、この広さあれば駅として機能します。
![国鉄大隅線 諏訪駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
待合所があったのはこのあたりです。
柊原駅(くぬぎばるえき)
![国鉄大隅線 柊原駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 柊原駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
柊原駅も開業当初から無人駅でした。
![国鉄大隅線 柊原駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡は道路横の空き地です。
![国鉄大隅線 柊原駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
航空写真で見ると、当初は駅へ行く道路がありません。
![国鉄大隅線 柊原駅へ続く道](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線のあったころは、おそらくここがメインの駅前通りです。
浜平駅(はまひらえき)
![国鉄大隅線 浜平駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 浜平駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
右下の大きな建物は、飲料水メーカー「財宝」さんの垂水工場です。
![国鉄大隅線 浜平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
浜平駅も開業当初から、旅客営業のみを目的としていました。
![国鉄大隅線 浜平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのため、広い敷地は必要なかったようです。
![国鉄大隅線 浜平駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
右側の建物群が駅前です。
垂水駅(たるみずえき)
![国鉄大隅線 垂水駅跡 垂水鉄道記念公園](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
垂水駅跡は垂水鉄道記念公園になっています。
木造駅舎があり、1961年(昭和36年)の古江線としての開業当初は、通勤通学でにぎわっていました。
国鉄大隅線 垂水駅(1961〜1987)
— 垂水時間旅行社 (@tarumizutta) November 2, 2017
昭和36(1961)年、国鉄古江線が海潟駅まで延伸した際に誕生。 写真は廃線時の記念入場券です。
#こんなんがあったんじゃグランプリin鹿児島 #大隅線廃線30年 #大隅線 pic.twitter.com/Kx7aV6Q32n
海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)
![国鉄大隅線 海潟温泉駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
![国鉄大隅線 海潟温泉駅 現在の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
海潟温泉駅は、1961年(昭和36年)に古江線の終着駅として開業しています。
![国鉄大隅線 海潟温泉駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、大隅線が全通した1972年(昭和47年)に移転しています。
![国鉄大隅線 海潟温泉駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線廃線時の海潟温泉駅は、わずか15年の歴史しかありません。
![国鉄大隅線 海潟温泉駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡は造園され、広葉樹が植林されています。
![国鉄大隅線 海潟温泉駅から見た桜島](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
周囲が農地だったので、桜島がよく見えていました。
![国鉄大隅線 海潟温泉駅跡 道に積もった火山灰](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その分火山灰もよく降っているようです。
大隅麓駅(おおすみふもとえき)
![国鉄大隅線 大隅麓駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
中央の築堤上が大隅麓駅です。比較する2000年以降の航空写真が出ませんでした
![国鉄大隅線 大隅麓駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
中央の道路が大隅線の跡で、左側の築堤が大隅麓駅跡です。
![国鉄大隅線 大隅麓駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線は本来、交差する道路を高架でまたいでいまいました。
![国鉄大隅線 大隅麓駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線を道路に転用する際、交差する道路と行き来できるように、築堤を掘り下げてあります。
![国鉄大隅線 大隅麓駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
いずれにせよ、駅跡に遺構はありません。
国鉄大隅線・大隅麓駅跡(鹿児島県:1997年12月):ぶらり乗り鉄一人旅#追憶 #大隅線 #大隅麓駅 #廃駅 #廃線 #風景 #一人旅 #鉄道旅行 #自転車旅行 #japan #travel #solotravel #landscape pic.twitter.com/oZPO6nWWex
— ちゃり鉄.JP-official- (@charitetsu_twit) February 13, 2021
大隅辺田駅(おおすみへたえき)
![国鉄大隅線 大隅辺田駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線で最後に開通した区間の駅は、すべて無人駅で駅舎がありません。
![国鉄大隅線 大隅辺田駅近くの架橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この区間は鉄道としての歴史は15年と浅く、駅跡の遺構はあまり残っていません。
![国鉄大隅線 大隅辺田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
中央の道路が大隅線跡で、右側のわずかな土地が大隅辺田駅跡です。
![国鉄大隅線 大隅辺田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
反対の国分駅方向を見た写真では、左側が駅跡になります。
![国鉄大隅線 大隅辺田駅跡 「しおかぜ街道牛根コース」の概要](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅麓駅から大隅辺田駅間の線路跡を、サイクリングロードにする構想があるようです。
大隅二川駅(おおすみふたがわえき)
![国鉄大隅線 大隅二川駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅二川駅は北側の牛根小学校と、南側の牛根中学校の間にあった駅です。
![国鉄大隅線 大隅二川駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅があったのは東側(写真の左側)です。
![国鉄大隅線 大隅二川駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
裏側から見ると、駅が築堤上にあったことがわかります。
![国鉄大隅線 大隅二川駅近くの橋脚跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
堤防の切れ目が、松崎川に架かっていた鉄道橋梁の橋脚跡です。
大隅二川駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
現在は・・・・えーっと、googleマップで確認すると、個人宅が建っているようです(汗)。
国分方のみ撮影。#大隅線 pic.twitter.com/Q4r91uxlhz
大隅境駅(おおすみさかいえき)
![国鉄大隅線 大隅境駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅境駅は無人駅でしたが、2線あり列車交換ができる駅でした。
![国鉄大隅線 大隅境駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅境駅跡は、鉄道記念公園として整備されています。
![国鉄大隅線 大隅境駅跡の動輪](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅前広場に動輪があります。
![国鉄大隅線 大隅境駅 鉄道跡地造園記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡には記念碑が建てられています。
![国鉄大隅線 大隅境駅跡の公園](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そして写真は開花前ですが、桜が植えられています。
大廻駅(おおめぐりえき)
![国鉄大隅線 大廻駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大廻駅の両側には、オレンジ学園という医療福祉法人の施設が立ち並んでいます。
![国鉄大隅線 大廻駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線の跡は道路になっています。
![国鉄大隅線 大廻駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
駅跡はオレンジ学園の一部として、風景に溶け込んでいます。
![国鉄大隅線 大廻駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
あらかじめ駅のあった場所の見当をつけて行かないと、全く駅跡とは気づきません。
大廻駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
現在は車道化されています。
当時から大きな病院に囲まれるように存在していました。
アクセスは病院敷地内に入っていくような感じで、「本当にこの道で合っているのか?」と不安になった覚えが(笑)。
1枚目:垂水方
2枚目:国分方#大隅線 pic.twitter.com/v4kS9fKpVL
大隅福山駅(おおすみふくやまえき)
![国鉄大隅線 大隅福山駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅福山駅跡は、鉄道記念公園である小廻中央公園になっています。
![国鉄大隅線 大隅福山駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
道路が国分に向かう大隅線跡で、西側(左)が駅跡の公園です。
![国鉄大隅線 大隅福山駅跡の動輪](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鉄道遺構は、動輪だけです。
![国鉄大隅線 大隅福山駅跡鉄道記念公園の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
あと、説明板に大隅線のことが触れられています。
![国鉄大隅線 大隅福山駅跡から見た桜島と壺畑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
桜島の景色にも驚きますが、それ以上にビックリしたのが黒酢の壺畑(つぼばたけ)です。
![国鉄大隅線 大隅福山駅跡 黒酢の壺畑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線 大隅福山駅。
— とおます (@lgted) July 17, 2018
開業 昭和47年
廃止 昭和62年
わずか15年の命しかなかった駅……#国鉄 #JR九州 #大隅線 #赤字廃止路線 #鹿児島県 #昭和62年 pic.twitter.com/uyHrYWcmBP
敷根駅(しきねえき)
![国鉄大隅線 敷根駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在は大隅線跡が県道になっていて、結構交通量が多くなっています。
![国鉄大隅線 敷根駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
このあたりが敷根駅跡なのですが、駅跡も道路になっています。
![国鉄大隅線 敷根駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当然、遺構も何も鉄道の痕跡すら見つけられませんでした。
![国鉄大隅線 敷根駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
銅田駅(どうたえき)
![国鉄大隅線 銅田駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
銅田駅もまさに現在の県道上にピッタリ被ります。
![国鉄大隅線 銅田駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
道路わきに下げて、鉄道記念公園がつくられています。
![国鉄大隅線 銅田駅跡の鉄道記念公園](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
公園内には、駅名標、車掌車、踏切が残されています。
![国鉄大隅線 銅田駅跡の車掌車](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
車掌車の車輪は外されていますが、塗装は新しく手入れされています。
![国鉄大隅線 銅田駅 車掌車の内部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
状態もそんなに悪くありません。
銅田駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
かなり高い築堤上の駅でした。
現在はすべて削り取られ車道化、跡地は鉄道記念公園となり、車掌車ヨ8000が展示(ただし車輪無し)されています。#大隅線 pic.twitter.com/OaT6msjjxj
金剛寺駅(こんごうじえき)
![国鉄大隅線 金剛寺駅 1970年代の航空写真](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
金剛寺駅は、航空写真の左上に見える、国分高等学校の最寄り駅でした。
![国鉄大隅線 金剛寺駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
上の写真では、信号待ちの車列が駅跡で、対向車線が大隅線跡です。
![国鉄大隅線 金剛寺駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
金剛寺駅跡は何の痕跡も残さず、完全に道路上になっています。
![国鉄大隅線 金剛寺駅跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国分駅(こくぶえき)
![JR九州日豊本線 国分駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
国分駅は、鹿児島市からと宮崎駅・大分駅を経て小倉駅へ至る日豊本線の駅です。
![JR九州日豊本線 国分駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そして、大隅線の終点駅でした。
![JR九州日豊本線 国分駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大隅線が発着していたのは、0番ホームです。
![JR九州日豊本線 国分駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在、志布志駅へ行くには、宮崎駅を経由して日南線で行くしかありません。
![JR九州日豊本線 国分駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
最近でも、県内では鹿児島中央駅に次いで、乗降客数の多い駅になります。
沿革
![さようなら大隅線 廃線時のプレート](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1915年(大正4年) | 南隅軽便鉄道(なんぐうけいべんてつどう)が鹿屋~高須間を開業 |
1916年(大正5年) | 大隅鉄道へ社名変更 |
1923年(大正12年) | 串良~古江間開業 |
1935年(昭和10年) | 国有化、国鉄古江線となる |
1938年(昭和13年) | 志布志~古江間改軌開通 |
1961年(昭和38年) | 古江~海潟間開通(旅客営業のみ) |
1972年(昭和47年) | 海潟~国分まで開通(旅客営業のみ) 志布志~国分間が全通し大隅線となる |
1982年(昭和57年) | 全線で貨物営業廃止 |
1984年(昭和59年) | 第2次特定地方交通線として廃止承認 |
1987年(昭和62年) | 全線廃止 |
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