鹿児島交通枕崎線は、かつて伊集院駅から枕崎駅を結んでいたローカル私鉄です。
地元では南薩線というよび方が一般的です
1983年(昭和58年)の豪雨で被災した後、全線が復旧することはありませんでした。
- 1 歴史
- 2 廃線へ
- 3 現在の状況
- 3.1 伊集院駅(いじゅういんえき)
- 3.2 上日置駅(かみひおきえき)
- 3.3 日置駅(ひおきえき)
- 3.4 吉利駅(よしとしえき)
- 3.5 永吉川鉄橋
- 3.6 永吉駅(ながよしえき)
- 3.7 吹上浜駅(ふきあげはまえき)
- 3.8 薩摩湖駅(さつまこえき)
- 3.9 伊作駅(いざくえき)
- 3.10 南吹上駅(みなみふきあげえき)
- 3.11 北多夫施駅(きただぶせえき)
- 3.12 南多夫施駅(みなみだぶせえき)
- 3.13 阿多駅(あたえき)
- 3.14 加世田駅(かせだえき)
- 3.15 上加世田駅(かみかせだえき)
- 3.16 内山田駅(うちやまだえき)
- 3.17 上内山田駅(かみうちやまだえき)
- 3.18 干河駅(ひごえき)
- 3.19 津貫駅(つぬきえき)
- 3.20 上津貫駅(かみつぬきえき)
- 3.21 薩摩久木野駅(さつまくきのえき)
- 3.22 金山駅(きんざんえき)
- 3.23 鹿篭駅(かごえき)
- 3.24 枕崎駅(まくらざきえき)
- 4 使用車両
- 5 書籍紹介
- 6 関連記事
歴史
鹿児島交通枕崎線は、1914年(大正3年)に南薩鉄道によって開業しています。
廃線時の正式な路線名は、「枕崎線」ですが、通称「南薩線」とよばれていました。
薩摩半島の西部の発展に大きく貢献した路線です。
1955年ごろ(昭和30年代のはじめ)までは、経営も順調でした。
しかし、道路網の整備が進むにつれ、自動車やバスと競合することになります。
1960年(昭和30年代の後半)には経営難に陥ります。
1964年(昭和39年)に、バス会社である三州自動車と合併し、鹿児島交通となっています。
廃線へ
鹿児島交通となった後も、自動車との競合はさらに激しくなります。
さらには沿線人口の過疎化がはじまっています。
南薩鉄道の最盛期には、一日平均利用客数は10,000人以上ありました。
1972年(昭和47年)には4,000人程度と半分以下となります。
1981年(昭和56年)には、2,100人と激減していました。
鹿児島交通も廃止の方針を公表したなかで、1983年(昭和58年)の豪雨被害を受けました。
被災しなかった区間で運行を再開しましたが、全線が復旧することなく1984年(昭和59年)に廃線となっています。
現在の状況
鹿児島交通枕崎線は、廃線から40年近くたちました。
営業キロ49.6km、全23駅の路線です。
現在の各駅の状況を見てきました。
伊集院駅(いじゅういんえき)
2015年(平成27年)に新駅舎が建てられています。
鹿児島交通枕崎線があった当時の面影はなくなっています。
九州のローカル線の思い出 🚞 鹿児島交通 枕崎線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) December 30, 2020
伊集院駅は本屋側に発着していました🏠
国鉄の機械式気動車キハ07と同型のキハ106が到着したところです🚃
昭和58年の春に再訪した時のものですが、この数ヶ月後にまさか不通になるとは…🏃#鹿児島交通枕崎線 #鹿児島交通 #ローカル線 #廃線 #キハ07型 pic.twitter.com/emooIN83HW
上日置駅(かみひおきえき)
峠の途中にあった駅です。
思った以上に原形をとどめています。
蒸気機関車の石造給水塔がほぼ完全な形でのこります。
ホームと路線跡も確認できます。
枕木は一部そのまま残してありました。
案内板もあるので、とてもわかりやすい駅跡です。
日置駅(ひおきえき)
住宅地になっています。
日置八幡神社の参道沿いであり、「八幡」バス停の神社側が日置駅のあった場所です。
現在は駅の痕跡らしいものはみあたりませんでした。
九州のローカル線の思い出 🚞 鹿児島交通 枕崎線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) December 30, 2020
南薩鉄道を前身とし、南薩線と呼ばれて親しまれていたのに相応しい風景の中を進んで行きます⛰
国鉄乗り入れ列車に供用されていたキハ10と同型のキハ301と行き違いました🚃#鹿児島交通枕崎線 #鹿児島交通 #ローカル線 #廃線 #キハ07型 #キハ10型 pic.twitter.com/PMfbGSbEoR
吉利駅(よしとしえき)
吉利駅は案内板があるので、わかりやすいです。
ホーム跡がきれいに整備されています。
往時のものではないにしても、駅名標があるのもわかりやすいです。
永吉川鉄橋
永吉川鉄橋は、「かめまる館」の横にある有名な、鹿児島交通の鉄橋跡です。
現役の3連アーチの石橋「浜田橋」とならぶ、建築遺構です。
その石造橋脚は、もはや芸術です。
永吉駅(ながよしえき)
吉利駅から続くサイクリングロードにより、駅跡が整備されています。
広々としていて、公園みたいです。
駅跡の案内板もあり、とてもみつけやすい駅跡でした。
吹上浜駅(ふきあげはまえき)
吹上浜駅跡は、現在の吹上浜バス停です。
鹿児島交通の線路跡は、サイクリングロードが続いています。
ひっそりと駅名標があります。
薩摩湖駅(さつまこえき)
現在の薩摩湖バス停です。
さつま湖遊園地を開設してからは、吹上高校と遊園地の間に駅がありました。
鹿児島交通は、さつま湖でロープウェイを営業していました。
1983年(昭和58年)の薩摩湖駅あたりの写真です。
九州のローカル線の思い出 🚞 鹿児島交通 枕崎線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) December 30, 2020
薩摩湖駅で降りてみました🚶
行楽地の湖も近く、林の中を散策してみましたが誰にも会いません…
昔のロープウェイの駅跡があって、切符とかが地面に散乱していました🚡#鹿児島交通枕崎線 #鹿児島交通 #薩摩湖 #ローカル線 #廃線 #キハ07型 pic.twitter.com/LFw15pxYE8
伊作駅(いざくえき)
伊作バス停のロータリーが、伊作駅跡です。
伊作駅跡の案内板では、伊作駅がこの場所になった経緯がわかります。
線路跡は車道になっています。こちらが加世田方面です。
そして、こっちが伊集院方面です。
昔の伊作駅です。
南吹上駅(みなみふきあげえき)
線路跡は、高規格な農道に転用されています。
駅跡らしきものは何もみつけられませんでした。
沿線も、吹上浜まで農地がつづいています。
北多夫施駅(きただぶせえき)
広域農道となり、駅跡はありませんが駅跡の案内板があります。
案内板には、駅前商店跡が残ると書いてあります。
しかし、それすらも痕跡しかなくなっています。
ありし日の駅前商店の写真です。
北の端に境界標が残っていました。
南多夫施駅(みなみだぶせえき)
駅跡の案内板がなかったら、見落としていたかもしれない駅です。
原形をとどめる遺構がほぼ見当たりません。
よくみると、ホームに使っていた石材のようです。
現役時はこんな感じでした。
駅前の農業倉庫が「駅らしさ」を伝えています。
阿多駅(あたえき)
阿多駅は、1965年(昭和40年)まで、知覧線が分岐していた駅です。
大きな駅でしたが、晩年は合理化により縮小していました。
現在は「ロイヤルハイツ金峰」というマンションになっています。
線路跡は1車線道路なのですが、広域農道につながるため交通量が多いです。
おそらく枕崎線と知覧線の分岐跡です。
ところどころに、伝統のありそうな石積みがあります。
加世田駅(かせだえき)
加世田駅は、南薩鉄道の創始者、鮫島慶彦氏の出身地です。
南薩鉄道が本社を置いた、枕崎線の中心駅です。
駅の敷地は鹿児島交通バスのターミナルになっています。
一角にある「南薩鉄道記念館」は、南薩鉄道と鹿児島交通の鉄道部部門を今に伝える資料館になっています。
九州のローカル線の思い出 🚞 鹿児島交通 枕崎線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) December 30, 2020
加世田駅です🏡
たくさんの木造の廃車体が並んでいましたが、廃線まで籍があった車両もあったそうです🚂#鹿児島交通枕崎線 #鹿児島交通 #ローカル線 #廃線 #キハ07型 pic.twitter.com/Ez3puLB2YB
上加世田駅(かみかせだえき)
上加世田駅は、古い倉庫の前に駅跡の案内板があります。
案内板には、上加世田駅から見えていた、加世田トンネルが残っていると書いてあります。
現在は加世田トンネルは、ヤブになっていて見えません。
本来はこんな見通しなのでしょう。
しかも事実上、線路跡からは近づけません。
ホーム跡も崩落が進んでいますが、手が入れてあり見ることができます。
蒸気機関車の給水塔跡までは、ヤブが払われていてよく見えます。
内山田駅(うちやまだえき)
内山田駅のあった場所は、住宅地になっています。
駅跡の遺構は何もありませんでした。
上内山田駅(かみうちやまだえき)
上内山田駅があったのは、このあたりです。
端から端まで見てみましたが、遺構らしきものは見つけられませんでした。
干河駅(ひごえき)
現在の「干河」バス停はこちらです。
駅舎があったのは、バス停近くの空き地ではないかと思っています。
右の2車線道路が線路跡で、左の1車線道路が駅前通りです。
鹿児島交通 枕崎線 干河駅にて。
— うさぎのバイク (@wGfBKOmMCtXIzGi) September 22, 2020
この鉄道は前時代を残してきた様なところが随所にありましたが、各駅の雰囲気は素晴らしいものがありました。
昭和28年に無人駅になったらしいこの駅もほとんど廃屋の佇まいながら駅としての形を保っていて痺れました。 pic.twitter.com/CGBQEiNhwF
津貫駅(つぬきえき)
津貫駅跡は「こどもの森保育園」になっています。
国道沿いに駅跡の案内板があります。
保育園内には短冊型駅名標がありました。
この花壇は転車台跡を利用したものだそうです。
真正面にある「本坊酒造津貫蒸留所」入口に展示されている軌道は、南薩鉄道開業時の米国製45ポンドレールなのだそうです。
いつも間違いや誤りが多いうさぎのバイクですがまたやってしまいました。
— うさぎのバイク (@wGfBKOmMCtXIzGi) December 16, 2020
昨日、鹿児島交通の津貫駅とツイートした駅は隣の上津貫駅の間違いでした。
正しい津貫駅の写真にはちゃんと本坊酒造の建物が写っています。
やはり駅の構内も広いですし乗降客も多いようですね。
お詫びして訂正致します。 pic.twitter.com/weDtqmVziC
上津貫駅(かみつぬきえき)
上津貫駅跡は、上津貫バス停の南側のヤブの中です。
バス停から裏道に入ると、駅跡の案内板があります。
ホーム跡は身長より高いヤブにおおわれていて、確認できません。
現役時の写真も、ほぼ草原です。
薩摩久木野駅(さつまくきのえき)
国道沿いに駅跡の案内板があります。
それ以外に遺構らしい遺構はみあたりませんでした。
金山駅(きんざんえき)
金山駅跡は、さぎやま自動車さんの向かい側あたりです。
この通りヤブしかありません。
もし、遺構があったとしても発見は困難です。
鹿篭駅(かごえき)
鹿篭駅跡はそのまま「鹿篭」バス停になっています。
駅にまつわる遺構は見つかりませんでした。
枕崎駅(まくらざきえき)
枕崎駅は、鹿児島交通枕崎線の終点駅であり、JR九州指宿枕崎線との接続駅でした。
JRと共用していた駅舎はなく、スーパータイヨーの駐車場になっています。
JR九州の枕崎駅は、南へ100m移動し、新駅舎となっています。
「枕崎駅前」バス停は、従来の旧駅舎前のままです。
旧駅舎前の観光案内所で、客待ちするタクシーの風景です。
九州のローカル線の思い出 🚞 鹿児島交通 枕崎線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) December 30, 2020
枕崎に近づくにつれて乗客は減り、車内はご覧の通りほぼ貸切状態…
この後枕崎で国鉄に乗り継ぎましたが、すぐ接続で乗り換え終わった途端に発車して写真がありません…📷#鹿児島交通枕崎線 #鹿児島交通 #ローカル線 #廃線 #キハ07型 pic.twitter.com/UIQiJpMUVI
枕崎駅にて。
— うさぎのバイク (@wGfBKOmMCtXIzGi) November 28, 2020
鹿児島交通の気動車と国鉄の気動車の出会い。
国鉄のはキハ26の400番台でしょうか。
どちらも曲者の気動車同士でいい組み合わせでした。
まだ春先なのにすでに草むした線路が堪りません。
きっと夏場が見ものだったでしょうね。 pic.twitter.com/XWGSiqpWi5
1984年3月17日、鹿児島交通枕崎線がこの日をもって廃止。1982年に廃止を発表したが地元などが反対。だが1983年6月の豪雨で大きな被害が出たことがとどめを刺した。写真は旧駅舎時代の枕崎駅。2006年に撤去されるまで、鹿児島交通の持ち物だった。 pic.twitter.com/YUAq5RKb0l
— Satoru_Date (@satorudate) March 16, 2018
枕崎駅前に南薩鉄道のミニ博物館がありますので、こちらも要チェックです。
使用車両
形式A
南薩鉄道が開業時に導入した、ドイツ製の1~3号機関車です。
1号機と2号機は、現在も加世田バスターミナルに保存されています。
形式C
1926年(大正15年)に2両導入した国産車両です。
4号機と9号機になります。
4号機が加世田に保存されています。
赤丸の箇所は、大戦中に米軍機から受けた機銃掃射の弾痕です。
形式5
1930年(昭和5年)導入した5号機です。
枕崎駅まで延伸したさいに、1両を増備したものです。
解体され現存していません。
形式C12
12号機
1944年(昭和15年)1両を増備した12号機です。
現在は、南さつま市運動公園に静態保存されています。
13・14号機
1948年(昭和23年)、1949年(昭和24年)、輸送力増強のため相次いで導入した車両です。
2両とも解体されています。
キハ100
1952年(昭和27年)に無鉛化を目的に導入された気動車です。
101~106号機まで、6両導入されました。
鹿児島交通おなじみの、角のない流線型の車両です。
現在は、キハ103が加世田に保存されています。
キハ300
1954年(昭和29年)に、301~303号機の3両が導入されています。
廃線まで運用されましたが、全車両解体されました。
形式36BBH
1961年(昭和36年)とその翌年に、DD1201とDD1202号機の2両を導入しています。
国産ディーゼル機関車で、貨車の牽引に使われました。
2両とも加世田に保存されています。
書籍紹介
南薩鉄道時代からの鹿児島交通の歴史を、豊富な写真とともに詳しく書いた本です。
上巻、下巻の2本立てになっています。
電子書籍版はこちらです。
[電子書籍版] 鹿児島交通南薩線 南薩鉄道顛末記 上関連記事
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