遣唐使館 (けんとうしかん)というのは、かつて鹿児島県坊津町 (現在の南さつま市)にあった 公共施設です。
坊津は古代日本の主要港で、 遣唐使船の寄港地だったことにちなむものです。
資料館
遣唐使館は、 1980年代に開設されています。
当時の坊津町(現在の南九州市) の予算で建てられ、現在も公共の建物です。
建築家、 松井宏方(まついひろみち・1931-2012) さんが設計しています。
遣唐使に関する資料を展示するほか、学習室を備える資料館的な観光施設でした。
2階には、お食事処 「風車」 という、 飲食店があったといいます。
現在は閉鎖され中に入ることはできません。
向かい側にはアスレチック施設がありましたが、現在は撤去されています。
ただし、使われていませんがトイレの建物が残っています。
遣唐使とは?
遣唐使というのは、 大和時代から平安時代に、 日本が唐 (現在の中国) に派遣した使節団です。
それまで、 隋(ずい) に送っていた、 遣隋使(けんずいし) に代わってはじまっています。
政治家や役人、僧侶や芸術家など、 様々なジャンルの人材が渡航し、唐の技術や文化を日本へもたらしています。
航路は主に3つありました。
北路(新羅道)
朝鮮半島をたどるルート
南路(太洋路)
五島 (現在の長崎県)から東シナ海を横断するルート
南島路
琉球(現在の沖縄県) をたどるルート
南島路を使う際は、坊津港など薩摩国に寄港していました。
長崎県五島市にある、「道の駅遣唐使ふるさと館」 は、南路に由来します。
坊津
坊津は飛鳥時代から薩摩国だけでなく、 日本の主要港で海上交通の重要地でした。
唐国(現在の中国) や、 琉球国 (現在の沖縄県) との貿易港でした。
唐国の僧侶・鑑真やキリスト教の宣教師・ザビエルが上陸したのも坊津です。
江戸時代の鎖国令で、 主要貿易港は長崎へ移ることになります。
鑑真
鑑真(がんじん)というのは、中国の僧侶です。
日本からの遣唐使の要請で、日本へ渡り仏教布教を決意します。
しかし、日本へ渡るべく遣唐使船で5回も出航していますが、 気象条件で失敗します。
この時代の渡航は命がけで、 南方での漂流で両目を失明しています。
ようやく、6回目の渡航で日本へ着いたときも漂着でした。
この時上陸したのが、 坊津の秋目港です。
秋目には、鑑真記念館が設置されています。
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