遣唐使館 (けんとうしかん)というのは、かつて鹿児島県坊津町 (現在の南さつま市)にあった 公共施設です。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
坊津は古代日本の主要港で、 遣唐使船の寄港地だったことにちなむものです。
資料館
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
遣唐使館は、 1980年代に開設されています。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当時の坊津町(現在の南九州市) の予算で建てられ、現在も公共の建物です。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
建築家、 松井宏方(まついひろみち・1931-2012) さんが設計しています。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
遣唐使に関する資料を展示するほか、学習室を備える資料館的な観光施設でした。
![遣唐使館 2階](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
2階には、お食事処 「風車」 という、 飲食店があったといいます。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在は閉鎖され中に入ることはできません。
![遣唐使館向かいのアスレチック場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
向かい側にはアスレチック施設がありましたが、現在は撤去されています。
![遣唐使館向かいのアスレチック場トイレ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ただし、使われていませんがトイレの建物が残っています。
![遣唐使館向かいのアスレチック場トイレ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
遣唐使とは?
遣唐使というのは、 大和時代から平安時代に、 日本が唐 (現在の中国) に派遣した使節団です。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それまで、 隋(ずい) に送っていた、 遣隋使(けんずいし) に代わってはじまっています。
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
政治家や役人、僧侶や芸術家など、 様々なジャンルの人材が渡航し、唐の技術や文化を日本へもたらしています。
![遣唐使の渡航ルート](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
航路は主に3つありました。
![復元された遣唐使船](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
北路(新羅道)
朝鮮半島をたどるルート
![遣唐使館 駐車場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
南路(太洋路)
五島 (現在の長崎県)から東シナ海を横断するルート
![遣唐使館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
南島路
琉球(現在の沖縄県) をたどるルート
![遣唐使館 入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
南島路を使う際は、坊津港など薩摩国に寄港していました。
![道の駅遣唐使ふるさと館(長崎県五島市)](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
長崎県五島市にある、「道の駅遣唐使ふるさと館」 は、南路に由来します。
坊津
![坊津 石碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
坊津は飛鳥時代から薩摩国だけでなく、 日本の主要港で海上交通の重要地でした。
![坊津町のお地蔵さん](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
唐国(現在の中国) や、 琉球国 (現在の沖縄県) との貿易港でした。
![坊津町の石碑とお地蔵さん](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
唐国の僧侶・鑑真やキリスト教の宣教師・ザビエルが上陸したのも坊津です。
![坊津町の石灯籠](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
江戸時代の鎖国令で、 主要貿易港は長崎へ移ることになります。
![坊津町の久志半島入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鑑真
![坊津町の久志半島入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
鑑真(がんじん)というのは、中国の僧侶です。
![遣唐使館前の道路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
日本からの遣唐使の要請で、日本へ渡り仏教布教を決意します。
![遣唐使館前の電柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、日本へ渡るべく遣唐使船で5回も出航していますが、 気象条件で失敗します。
![遣唐使館前の道路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この時代の渡航は命がけで、 南方での漂流で両目を失明しています。
![遣唐使館前のハイビスカス](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ようやく、6回目の渡航で日本へ着いたときも漂着でした。
![鑑真が上陸した秋目浦](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この時上陸したのが、 坊津の秋目港です。
![鑑真記念館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
秋目には、鑑真記念館が設置されています。
![遣唐使館前の駐車場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
関連記事
【関連記事】坊泊小学校 坊津港貿易を背景にした有力寺院一乗院跡にあった校舎
【関連記事】ペガサス大浦 旧大浦町にあったマリンパーク・パラダイスビーチ