くま川鉄道というのは、熊本県の南部を東西に走る第3セクターの鉄道路線です。
令和2年7月豪雨で全線運休となり、代替輸送バスを運行しています。
運休し1年近くになる鉄道路線・湯前線の全14駅を見てきました。
湯前線
くま川鉄道の前身は、JR九州湯前線です。
全線が非電化の単線で、国鉄時代に特定地方交通線に上がっていました。
湯前線は、第3次廃止対象路線でした。
第1次、第2次の廃止対象路線の多くがバス転換し、鉄道は廃止されました。
対して第3次廃止対象13線は、そのうち9線が3セク鉄道へ転換しています。
1987年(昭和62年)2月 | 廃止承認 |
1987年(昭和62年)4月 | JR九州へ継承 |
1989年(平成元年)10月 | くま川鉄道へ継承 |
豪雨災害
2020年(令和2年)7月豪雨災害では、湯前線史上最大の被害に見舞われています。
人吉駅の浸水をはじめ、川村駅の流失のほか、全車輛と路線設備が被災しました。
ただし、鉄道路線として全線復旧することが決まっています。
比較的被害の少なかった、肥後西村駅~湯前駅間は、2021年(令和3年)中の再開が予定されています。
運休中の各駅の状況
人吉温泉駅
人吉温泉駅(ひとよしおんせんえき)の旧名称は人吉駅で、くま川鉄道の起点駅です。
JR九州肥薩線人吉駅を共同使用しています。
1~3番ホームがJR肥薩線で、4~5番がくま川鉄道湯前線です。
乗り場へは跨線橋を渡ります。
足腰が弱い方は、ホームを横切って行くことができます。
くま川鉄道本社は、人吉温泉駅の東側になります。
駅の北側が車庫です。
相良藩願成寺駅
相良藩願成寺駅(さがらはんがんじょうじえき)は、1937年(昭和12年)に開設された駅で、旧名称は東人吉駅です。
くま川鉄道転換の際、相良藩の菩薩寺となる願成寺にちなんで駅名が変更されました。
駅自体は願成寺町ではなく、北泉田町にあります。
乗降客の大半が、人吉高校の汽車通生です。
運休中はカギがかかっていて、構内を見ることはできませんでした。
場所 熊本県人吉市北泉田町
川村駅
川村駅(かわむらえき)は、1953年(昭和28年)に開設された、旧川村の駅です。
開設当初より1面1線の無人駅で、ホーム上に待合所がありました。
2020年(令和2年)7月豪雨で一帯が浸水しています。
現況を見ると、浸水しただけではなく、激しい水流にさらされたことがわかります。
場所 熊本県球磨郡相良村柳瀬
球磨川第4橋梁
球磨川と川辺川の合流点にかかる、くま川鉄道の鉄橋です。
川村駅と肥後西村駅の間にあります。
2020年(令和2年)7月豪雨で流失してしまいました。
肥後西村駅
肥後西村駅(ひごにしのむらえき)は、湯前線開通当初からある旧西村の中心駅です。
1972年(昭和47年)に、駅前に熊本県立球磨商業高校が新設され、乗降客が増加しています。
現在は、再編統合された球磨中央高校の最寄り駅です。
場所 熊本県球磨郡錦町大字西
一武駅
一武駅(いちぶえき)は、湯前線開通当初からある旧一武村の中心駅です。
とはいっても、町の中心部からは2㎞ほど北側にあり、歩くと30分くらいかかります。
現在は簡易駅舎ですが、以前は木造の駅舎があり、2面2線の交換可能駅でした。
現在のホームの北側に線路は残っていませんが、ホームが残っています。
木上駅
木上駅(きのええき)は、1953年(昭和28年)に開設された駅です。
当初から1面1線の無人駅で、ホームも4両分しかありません。
駅北側の球磨川河川敷は、全国唯一のツクシイバラという植物の自生地です。
そのため愛称は「ツクシイバラの里・木上駅」になっています。
場所 熊本県球磨郡錦町木上南
おかどめ幸福駅
おかどめ幸福駅は、国鉄時代にはなく、くま川鉄道転換時にできた駅です。
駅の南側にある岡留熊野座神社の愛称が「幸福神社」であることから駅名となっています。
全国で唯一「幸福」がつく、現役の鉄道駅であるため、駅のあるあさぎり町が観光資源として開発しています。
鉄道の運行にかかわらず、観光施設として開放してあります。
あさぎり駅
あさぎり駅は、湯前線開通当初からある免田町の中心駅で、旧名称は免田駅です。
開業当初から現在も有人駅で、営業時間中は常時駅員がいます。
上下の列車交換駅で、現在もタブレット交換をする姿を見ることができます。
日本で今もタブレット閉塞が残るのは、くま川鉄道湯前線と由利高原鉄道鳥海山ろく線だけとなっています。
東免田駅
東免田駅(ひがしめんだえき)は、1963年(昭和38年)に開設された駅です。
開設当初より1面1線の無人駅ですが、当初4両分だったプラットホームは伸ばしてあります。
待合所の屋根は、傘型オブジェです。
公立病院前駅
公立病院前駅は、1989年(平成元年)、くま川鉄道転換時に新設された駅です。
1984年(昭和59年)に、公立多良木病院が手狭となり、町の中心地から郊外へ移転していました。
名称通り、移転した後の公立多良木病院の最寄り駅です。
多良木駅
多良木駅(たらぎえき)は、湯前線開通当初からある、多良木町の中心駅です。
かつては、貨物量乗降客ともに湯前線の中心駅でした。
2019年(平成31年)に、熊本県立多良木高校が廃校となったことで、乗降客が減少しています。
駅舎は商店街にある恵比寿神社にちなんで、えびす像をイメージしてデザインされたものです。
東多良木駅
東多良木駅(ひがしたらぎえき)は、1963年(昭和38年)に開設された1面1線の無人駅です。
駅舎はなく建物は待合所のみですが、プラットホームは6両分用意されています。
ホームへは、西側の仁原踏切からしか入れないので、ホームは奥行きが長く感じます。
新鶴羽駅
新鶴羽駅(しんつるばえき)は、利便性を高めるため、くま川鉄道転換時に新設された駅です。
単式1面1線で4両分のホームがあります。
多良木町の東端にあり、湯前町西部の住民も乗降します。
待合所の壁は、竹で作ってあります。
湯前駅
湯前駅(ゆのまええき)は、湯前線の終点駅です。
現在も、湯前線開設当初からの駅舎を現役で使用します。
場所 熊本県球磨郡湯前町
現役車輛
くま川鉄道の現役車輛は、合計5両です。
全車両がKT-500形気動車で、あの水戸岡鋭治氏が人吉球磨盆地の四季をイメージしてデザインしています。
KT-501 冬
KT-501(冬)は、茶色で塗装されています。
KT-502 秋
KT-502(秋)のカラーは赤です。
KT-503 春
KT-503(春)はベージュ色に塗装されていて、被災後も唯一動いた車両です。
KT-503、エンジン起動し走行可能です!!✨
— みんなでつくる鉄道研究所 レイルラボ(RailLab) (@RailLabJp) August 11, 2020
くま川鉄道 KT-503 (くま川鉄道KT-500形) 車両ガイドhttps://t.co/I0DFh5MthE
7月豪雨被害のくま川鉄道KT-503、奇跡の復活 | RailLab ニュース(レイルラボ) https://t.co/JCFPO3BllM#くま川鉄道#がんばれくま鉄
今日は車庫内格納でしょうか、外には見当たりません。
KT-504 夏
KT-504(夏)は、青色の車両です。
KT-505 白秋
KT-505 (白秋)は、白色に塗装されています。
まとめ
湯前線の歴史の中で、今回のように長い運休ははじめてのことです。
役員、社員、株主はじめ関係者の方々にはお見舞いを申し上げることしかできません。
各駅は長い運休で、もう少し荒れているのかと思いましたが、川村駅以外は現役時と何も変わっていません。
これまで自然災害により、復旧を断念し廃線となった鉄道路線をみてきました。
九州でも3路線が、被災により鉄道の復旧を断念しています。
路線名 | 被災年/災害名 | 結果 |
鹿児島交通枕崎線 | 1983年(昭和58年)加世田豪雨 | 廃線 |
高千穂鉄道高千穂線 | 2005年(平成17年)台風14号 | 廃線 |
JR九州日田彦山線 | 2017年(平成29年)九州北部豪雨 | BRT化 |
そんななかくま川鉄道は、いち早く全線復旧方針が示されています。
影ながら今後の推移を見守り、応援したいと思っています。
沿革
1924年(大正13年) | 鉄道省湯前線として開通 |
1949年(昭和24年) | 国鉄湯前線となる |
1987年(昭和62年) | JR九州湯前線となる |
1989年(平成元年) | くま川鉄道湯前線となる |
2020年(令和2年) | 豪雨被害により全線運休 ←今ここ |
くま鉄オンラインショップ
関連記事
【関連記事】肥後西村駅 フルーツの里にある、球磨中央高校の最寄り駅
【関連記事】おかどめ幸福駅 日本で唯一「幸福」がつく現役鉄道駅
【関連記事】あさぎり駅 通称ポッポー館は、大きな駅舎でイベントも盛ん
【関連記事】多良木駅から里の城大橋 ブルートレインに泊まれます
【関連記事】湯前駅 開業当時の駅舎を残すくま川鉄道の終着駅で始発駅