久志(くし)小学校は、かつて鹿児島県南さつま市坊津町(ぼうのつちょう)にあった公立小学校です。
坊津町には4つの小学校がありましたが、2010年(平成22年)に、坊津学園小学校を新設統合しています。
名言の残る校庭
久志小学校の前庭には、名言が残されています。
ぼくはねうんどうするのがすきなんだ
体を動かすことが大好きな、小学生の素直な気持ちがストレートに伝わります。
なんの邪念もない、力強い言葉は心にひびきます。
この標柱だけが残されています。
校内でも極めて高評価だったことがわかります。
見た瞬間も感動しましたが、のちのち心に残る言葉で、何回も思い出してしまいます。
久志地区
久志地区は久志湾沿いに広がる港町です。
天然の良港であり、中世には唐国(現在の中国)や琉球国(現在の沖縄県)との貿易港として栄えています。
江戸時代の鎖国までは、唐人が住む唐人町が形成されていました。
江戸時代以降は、長崎港に貿易港としての座を譲るようになります。
薩摩藩の外城制のなかで、当初は久志郷で単独の外城を形成しました。
後には、秋目郷と統合し久志秋目郷となっています。
坊津町の中でも、歴史的に秋目地区と関係が深いことがうかがえます。
久志小学校の校区も秋目や泊浦などを含んでいました。
校区が広いため、学校統合以前からスクールバスを運行していました。
校区内の著名スポット
鑑真上陸の地
鑑真(がんじん)というのは、日本の仏教界に大きな影響を与えた僧侶です。
奈良時代、仏教の神武天皇の要請により、唐(現在の中国)より渡日しています。
当時、日本への船旅は命がけでした。
鑑真は日本への渡航を5度にわたり試みていますが、ことごとく失敗しています。
なんと、船旅の途中疫病により両目を失明しています。
それでも、6回目の渡航にして渡日を成功させました。
鑑真が最初に上陸した地が秋目でした。
映画 007は二度死ぬ
1967 年(昭和 42年)公開の米英合作映画、「007 は二度死ぬ」は、日本を舞台にしていました。
坊津町秋目では、漁村のシーンが撮影されています。
当時と変わらない風景が残ることから、現在も映画 007 の聖地として訪れる人がいます。
沿革
1872年(明治5年) | 久志小学校創立 |
1886年(明治19年) | 久志高等尋常小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 久志国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 西南方村立久志小学校へ改称 |
1953年(昭和28年) | 坊津村立久志小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 坊津町立久志小学校に改称 |
2005年(平成17年) | 南さつま市立久志小学校へ改称 |
2010年(平成22年) | 南さつま市立坊津学園小学校を新設統合 閉校 |
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