涙橋

涙橋 鹿児島の刑場へ向かう西南戦争血戦の地

涙橋は、鹿児島市南郡元町にある橋です。

涙橋(鹿児島県)

一見して普通の橋なのですが、マニアの間では心霊スポットとして名高い場所です。

刑場

涙橋や泪橋は、全国各地にあります。

刑場へ向かう涙橋

その多くが、「刑場へ向かう罪人とその家族が涙を流して別れる橋」ということに由来しています。

涙橋(鹿児島県) 刑場へ向かう罪人とその家族が涙を流してわかれる橋

鹿児島市の涙橋も例にもれず、この地の約800m南側に、江戸時代の刑場がありました。

涙橋 欄干

涙橋のたもとで、刑場に向かう罪人が家族と別れていたといわれています。

鹿児島市南郡元町 涙橋

ひえんもり

刑場ですから、罪人たちは処刑されることになります。

涙橋たもとの石碑

江戸時代、薩摩国では刑場で処刑が行われると、青年武士たちが遺体から内蔵を取ってくる風習がありました。

涙橋たもとの石柱

冷物取(ひえんもり)といって、若者たちが武勇を競うためのものです。

涙橋血戦の碑

涙橋血戦の碑

涙橋は西南戦争の激戦地です。

涙橋血戦の碑(裏面)

熊本で敗れた薩軍が鹿児島へ帰ると、鹿児島はほとんど官軍に占領されていました。

涙橋血戦の碑

涙橋で213名の薩軍兵士が官軍に応戦し、6時間に及ぶ死闘を繰り広げます。

涙橋血戦の碑の看板

涙橋血戦の地という石碑は、陸軍の戦死者90名を慰霊するものです。

涙橋血戦の碑の説明板

実はこの場所が決戦地となったのは、西南戦争がはじめてではありません。

涙橋たもとの涙橋血戦の碑周辺

南北朝時代と戦国時代にも決戦が行われていますので、3度に及び激戦が繰り広げられた場所になります。

涙橋血戦の碑のとなりにある石柱

心霊スポット

涙橋(鹿児島市南郡元町)

現在の涙橋は、一見してどこにでもある普通の橋です。

涙橋

しかし歴史をさかのぼると、刑場と3度にわたる激戦で、多くの人が亡くなっています。

涙橋血戦の碑

霊の目撃情報はもとより、泣き声が聞こえるといった報告があります。

JR九州枕崎線 新川第2踏切

また、近くにはJR九州枕崎線や市電谷山線が通っていますが、飛び込み自殺が多いといいます。

場所 鹿児島県鹿児島市南郡元町2-1

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